赤倉神社

  石川県:歴史・観光・見所(ホーム)七尾市:歴史・観光・見所>赤倉神社(読み方:あかくらじんじゃ)

概要・歴史・観光・見所

赤倉神社(七尾市)概要: 赤倉神社は石川県七尾市三引町(赤蔵山中腹)に鎮座している神社です。赤倉神社境内に設けられた三猿(見ざる聞かざる言わざる)の石像赤倉神社の創建は不詳ですが伝承によると推古天皇年代(592〜628年)に勧請されたと伝えられています。天平2年(730)に聖武天皇の皇子(東宮)が眼病に煩った際、赤倉大権現に病気快癒を祈願したところ見事に病が癒えたことで信仰が広まりました。伝承によると皇子の眼病は医者に見せても原因が判らず薬もなく大変困っていると、母后の霊夢に赤倉大権現の化身と思われる1人の白髪の老人が出現し赤蔵山の大権現に祈願すれば、眼病が平癒するだろうとの御告げがありました。

早速、天皇に霊夢の事を申し上げると、天皇の勅命により藤原諸末以下30余名の僧侶が赤蔵山に出向き祈願すると、不思議と皇子の眼病が平癒しました。天皇は神意に感謝し、赤倉神社には赤蔵山一帯が社地として認められ多くの堂宇が建てられました。

境内にある御手洗池は赤蔵山の伏流水が湧出た清水で、皇子の眼病治療にも使用されたとの伝承を持ち、昭和60年(1985)に名水百選にも選定されています。

中世には神仏交合し赤蔵山上一本宮寺として120坊を数える程繁栄し、周囲に大きな影響力を持ち石動山天平寺(現在の伊須流岐比古神社)と敵対したり足利氏と共に越中に侵攻したりしました。

戦国時代に上杉謙信の能登侵攻により堂宇の多くが戦火により焼失し一時衰退、江戸時代に入り領主となった長連頼(加賀八家)が祈願所として復興し社殿が再建、社領61石が安堵されました。明治時代初頭に発令した神仏分離令により形式的には仏式が廃され神社として独立、社号を赤倉神社に改め郷社に列しています。

歴史が感じられる赤倉神社の境内
歴史が感じられる赤倉神社の境内

現在でも神仏習合時代当時の堂宇である仁王門や仁王像(大同元年(806)に製作したものを万治2年(1659)に再彫刻)、講堂(現在の赤倉神社拝殿)がそのまま残されています。

赤倉神社仁王門(神門)は江戸時代中期の宝暦11年(1761)に建築されたもので、切妻、桟瓦葺き、三間一戸、桁行3間、梁間2間、外壁は真壁造板張り、左右に仁王像が安置されています。

赤倉神社拝殿は、江戸時代初期の万治2年(1659)に赤蔵山上一本宮寺の講堂として建築されたもので、木造平屋建て、寄棟、桟瓦葺き、平入、桁行8間、梁間6間、外壁は真壁造板張り。

赤倉神社本殿は寛文4年(1664)に領主である長連頼が本宮寺奥の院として造営されたもので、三間社流造、こけら葺き、正面三間向拝付き、外壁は真壁造り板張り。 赤倉神社本殿、拝殿、仁王門は神仏習合を伝える遺構として貴重な事から平成元年(1989)に七尾市指定文化財に指定されています。

境内のある赤蔵山は貴重な事から平成3年(1991)に石川県指定史跡に指定されています。祭神:大山津見神。

赤倉神社:上空画像

八脚門を簡単に説明した動画

【 参考:文献等 】
・ 郷土資料事典-ふるさとの文化遺産-石川県-出版元:株式会社人文社
・ 現地案内板-田鶴町三引区


赤倉神社:ストリートビュー

赤倉神社:拝殿・仁王門・写真

赤倉神社境内麓に設けられた大鳥居と石造社号標
[ 付近地図: 石川県七尾市 ]・[ 七尾市:歴史・観光・見所 ]
赤倉神社参道沿いに設けられた仁王門(神門) 赤倉神社神門に安置されている仁王像(吽形像) 赤倉神社神門に安置されている仁王像(阿形像) 赤倉神社境内に設けられた石燈篭と石造狛犬
赤蔵山上一本宮寺の講堂だった赤倉神社拝殿 赤倉神社拝殿右斜め前方から撮影した画像 赤倉神社拝殿背後に設けられた本殿と回廊 赤倉神社奥宮へと続く参道の石段


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