久麻加夫都阿良加志比古神社

  石川県:歴史・観光・見所(ホーム)七尾市:歴史・観光・見所>久麻加夫都阿良加志比古神社

概要・歴史・観光・見所

久麻加夫都阿良加志比古神社(七尾市)概要: 久麻加夫都阿良加志比古神社は石川県七尾市中島町宮前ホ部に鎮座している神社です。久麻加夫都阿良加志比古神社の創建年は不詳ですが古くから「おくまかぶと」と称している古社で、平安時代の延長5年(927)に編纂された延喜式神名帳に記載されている式内社です。

御神体でもある神像(久麻加夫都阿良加志比古神坐像:平安時代後期作、一木造、像高:68.0cm、膝張り:44.0cm、膝奥:30.0cm、国指定重要文化財)は藤原時代に製作されたと推定される座像で亀神3年(726)の棟札と共に当社の歴史の古さを感じさせます。祭神である阿良加志比古神と都奴加阿良斯止神は古代韓国の王族とされ現在の敦賀に上陸した後に周辺を支配して当地方の守護神になったと思われます。ようは、阿良は阿羅に通じ、阿羅は安羅国と同義とされます。

安羅国は3世紀から6世紀中頃にかけて朝鮮半島の南部に存在した伽耶諸国の中の慶尚南道咸安郡を版図としていましたが、562年に新羅国の侵攻により大加羅が滅亡した事で、安羅からも王族や多くの国民が難民として日本に逃れた可能性は否定できるものでは無く、能登半島に土着した際に祖神や氏神として祭った可能性はあります。

中世に入ると熊来郷の総社として広く信仰を広め、江戸時代には加賀藩主前田家の家臣村井家(加賀八家)からも崇敬され慶長7年(1602)には村井長頼、慶安4年(1651)には村井長朝、宝永7年(1710)には村井親長から寄進を受けています。古くから神仏混合の形態を保ち摂社の薬師社が熊甲薬師如来座像(石川県指定有形文化財)を安置され、弘法大師空海が奉納したという紺紙金泥法華経が宝物殿(七尾市指定有形文化財)に収められていたそうです。明治時代の神仏分離令後の明治6年(1873)に郷社に列し明治39年(1906)に神餓幣帛料供進神社に指定されています。

久麻加夫都阿良加志比古神社の例祭である"お熊甲祭"は古式を伝える民俗行事として大変貴重な事から名称"熊甲二十日祭の枠旗行事"として昭和56年(1981)に国指定重要無形民俗文化財に指定されています。久麻加夫都阿良加志比古神社本殿は木造平屋建て、入母屋(正面千鳥破風)、銅板葺、平入。拝殿は木造平屋建て、入母屋(正面千鳥破風)、瓦葺、平入、桁行4間、梁間3間、正面3間向拝付。宝蔵は宝形造、桟瓦葺、桁行1間、梁間1間、校倉造。

能登十二薬師霊場第2番札所。祭神:阿良加志比古神(地主神、又は3〜4世紀頃の南朝鮮の阿羅国の王族)。配祀:都努加阿羅斯止神(4〜6世紀頃の朝鮮半島南方に位置した意富加羅国の王子)。

久麻加夫都阿良加志比古神社:上空画像

【 参考:文献等 】
・ 郷土資料事典-ふるさとの文化遺産-石川県-出版元:株式会社人文社
・ 現地案内板-七尾市教育委員会


久麻加夫都阿良加志比古神社:ストリートビュー

久麻加夫都阿良加志比古神社:写真

久麻加夫都阿良加志比古神社境内正面に設けられた石造大鳥居と石造社号標
[ 付近地図: 石川県七尾市 ]・[ 七尾市:歴史・観光・見所 ]
久麻加夫都阿良加志比古神社境内から見た拝殿 久麻加夫都阿良加志比古神社社殿全景右斜め前方から 久麻加夫都阿良加志比古神社幣殿と本殿覆屋 久麻加夫都阿良加志比古神社境内社である薬師社
久麻加夫都阿良加志比古神社境内に設けられた宝蔵(校倉造) 久麻加夫都阿良加志比古神社境内社である加茂社と石鳥居 久麻加夫都阿良加志比古神社境内に設けられた手水舎と石造狛犬 久麻加夫都阿良加志比古神社境内にある御神木の大木


※ 相談や質問は大変失礼ですが、メールのみとさせていただきます。 回答によって不都合や不利益をこうむっても当サイトは一切責任を負いません。又、回答を直接的(当サイトの名前を使って)に交渉や請求の手段とすることはご遠慮くださるようお願い申し上げます。 予告なしに追加、書き替えを行いますのでご了承ください。尚、「石川県:歴史・観光・見所」は「石川県の歴史」、「郷土資料辞典−石川県」、「日本の城下町−北陸」、「城郭と城下町−北陸」、「北陸道二」、「パンフレット」、「案内板」、「関係HP」等を参考にさせていただいています。※プライバシーポリシーはこちらです。