金劔宮(白山市)概要: 金劔宮は石川県白山市鶴来日詰町に鎮座している神社です。金劔宮の創建は不詳ですが伝承によると崇神天皇3年(紀元前95年)に勧請されたのが始まりと伝えられています。
格式が高く「神階記」によると承平3年(933)には正三位、永観元年(983)には従二位、寛弘4年(1007)には正一位に列しています。寿永2年(1183)に発生した倶利伽羅峠の戦いで平家の主力軍を打ち破った木曽義仲(源義仲)は勝利した瞬間に神宝が出現した事から、神意に感謝し金劔宮に鞍置馬20頭と社領(横江庄)を奉納寄進しています。
室町時代に編纂された「義経記」によると文治2年(1186)に源義経が兄である源頼朝に追われ奥州平泉(現在の岩手県平泉町)に落ち延びる際、白山比盗_社に参拝した後、金劔宮を訪れ夜通し神楽を見学した事が記され、境内には義経が腰かけたと伝わる「義経腰掛石」が残されています。
南北朝時代には南朝方に属し白山信仰の信者と共に北朝の足利尊氏と対立した勢力でした。中世は三宮(現在の白山比盗_社)、本宮(白山比盗_社の旧社地)、別宮(白山別宮神社)、佐羅宮(佐羅早松神社)、中宮(笥笠中宮神社)、岩本宮(岩本神社)と共に白山七社の1つに数えられ、本宮、三宮、岩本宮と共に本宮四社と称するなど広く信仰を集め社運も隆盛します。
金劔宮境内には神仏習合していたこともあり三重塔や講堂、鐘楼などを加えた七堂伽藍が整備され神官だけでなく多くの社僧を抱える大社となりました。歴代領主や武将達から武門の神として崇敬され源義経や木曽義仲、足利氏、富樫氏、加賀藩藩主前田家などから信仰されていました。
明治時代初頭に発令された神仏分離令により仏教色が一掃され明治5年(1872)に社号を「金劔神社」に改めると共に郷社、明治28年(1895)に県社に列しています。
金劔宮の境内には義経腰掛石や天忍石(牛石)、天の真名井などいわく付きの石や名水があります。金劔宮拝殿は木造平屋建て、入母屋、正面千鳥破風、銅板葺き、平入、桁行3間、張間4間、正面1間唐破風向拝付き。本殿は三間社流造、銅板葺き。主祭神:瓊々杵尊。配神:大國主神、大山咋命、日本武命、事代主神、猿田彦神。
金劔宮:上空画像
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