加賀市: 菅生石部神社

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概要・歴史・観光・見所
菅生石部神社(加賀市)概要: 菅生石部神社の創建は用明天皇の御代(585〜587年)、当地域で疫病が蔓延した事から江沼鎮護と五穀豊穣の為、宮中から菅生石部神の分霊を勧請したのが始まりと伝えられています。古くから朝廷に崇敬され陽成天皇の御代(876〜884年)正五位下、天慶3年(940)正四位下を賜り、延長5年(927)に編纂された延喜式神名帳には式内社の記載があり伏見天皇の御代から正親町天皇の御代まで春秋の例祭には朝廷より御衣・神宝などが奉納されています。中世に入ると、加賀国では一ノ宮である白山比盗_社に次ぐ二ノ宮の格式(越前国では三ノ宮)を得て広く信仰されるようになり、境内を含む福田の庄が京都の北野天満宮領になったことから天神信仰との結びつきが強まりました。歴代領主や為政者からも崇敬され木曾義仲、足利義持、豊臣秀吉、前田利家、山口玄蕃、富樫昌家などから社領の寄進や社殿の営繕などが行われています。江戸時代に入ると歴代大聖寺藩主前田家や本藩である加賀藩主前田家から崇敬され(前田家の遠祖は菅原道真だった為、特に天神信仰には厚く保護されました。)、随時社殿の改修、造営が行われ、多くの寄進や奉納が行われています。菅生石部神社は明治29年(1896)には国弊小社に列しています。社宝である蒔絵角赤手箱は珠姫(天徳院:徳川秀忠と江の次女、徳川家康の内孫)が加賀藩2代藩主前田利常に輿入れの際、江戸からの持参し、元和5年(1619)に日頃から信仰していた菅生石部神社に奉納されたもので、縦37.9cm、横29.7cm、高さ24.2cm、桃山時代の名残が見られる意匠的にも大変優れた貴重なものとして昭和25年(1950)に国指定重要文化財に指定されています。正親町天皇宸翰詠草は永禄4年(1561)に行われた歌会で詠んだ和歌の草稿で、大変貴重なものとされ昭和25年(1950)に国指定重要文化財に指定されています。祭神:菅生石部神(日子穂穂出見命・豊玉毘賣命・鵜葺草葺不合命)。例祭:天神講(7月24日〜26日)、御願神事(竹わりまつり:2月10日)。

菅生石部神社の文化財
 蒔絵角赤手箱−江戸時代−国指定重要文化財
 正親町天皇宸翰詠草−永禄4年−国指定重要文化財
 御願神事−菅生石部神社の例祭−石川県指定無形民俗文化財
 菅生石部神社神門−文政9年−三間一戸・入母屋・楼門−加賀市指定文化財

菅生石部神社
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