尾山神社: 歴史

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概要・歴史・観光・見どころ・由来

尾山神社(金沢市)概要: 尾山神社は石川県金沢市尾山町に鎮座している神社です。尾山神社石碑(お松の方像)尾山神社の前身である卯辰八幡宮の創建は慶長4年(1599)に造営されたのが始まりとされます。慶長3年(1598)、豊臣秀吉が死去すると、政権運営は徳川家康が担うようになり、一方、豊臣秀頼の守役として前田利家が対峙する構図となりました。利家は人望が篤かった事から関ケ原の戦いで東軍に与した武断派の武将の一部も当時は利家派に靡き家康の動きを牽制する事が出来ました。しかし、慶長4年(1599)に利家が死没すると豊臣家臣団は大きく動揺し形成は大きく家康に傾きました。

利家は自分が死ぬと家康が台頭する事を察し、嫡男の利長は大坂城に8千の兵を詰めさせ秀頼様を守護、2男の利政は金沢城に戻り8千の兵で領内を守護、大坂で秀頼様に謀反する者が入れば利政は8千の兵を率いて上洛し兄弟力を合わせて事にあたるようにと遺言を残しました。

しかし、利長は利家の遺言を無視し家康の命に従い大坂城を事実上徳川家に引き渡し8千の兵と共に金沢城に引き上げました。すると徳川家に従ったはずの利長が何故か謀反を企んでいると因縁を付けられ加賀征伐が発令されます。

豊臣家から見ると既に豊家を見限り徳川家に与した前田家を助ける道理もなく、後ろ盾を失った利長は生母である芳春院(お松の方)と腹違いの弟である前田利孝を徳川家に人質に出し、さらに養嗣子(腹違いの弟)である前田利常と家康の孫娘である珠姫(徳川秀忠娘:天徳院)の婚約させるなど絶対的な忠誠が求められました。

歴史が感じられる尾山神社のステンドグラス入りの神門
歴史が感じられる尾山神社のステンドグラス入りの神門

一方、家臣達からは不満が続出し、さらに、前田利家を祭る神社が求められるも、徳川家に敵対した利家を公然と祭る訳にもいかず微妙な舵取りが必要となりました。

そこで利長が越中領主時代に崇敬していた物部八幡神社(富山県高岡市)と榊葉神明宮(富山県氷見市)の分霊を金沢城の鬼門である卯辰山麓に勧請し卯辰八幡宮を建立し、その上で利家の神霊する事で、体面的には別の神社を装いながら実は利家を奉斎しました。

【 尾山神社の創建の経緯 】-卯辰八幡宮は加賀藩の藩社として庇護され社運も隆盛しましたが、明治4年(1871)に廃藩置県尾山神社(金沢市)煉瓦造の玉垣が施行されると庇護者を失い荒廃し、それを憂いた旧藩士達は新たに利家を祭る神社の創設を切望しました。明治6年(1873)に金沢城の金谷出丸(金谷御殿)の跡地に卯辰八幡宮から利家の神霊を勧請し社殿を建立、社号を尾山神社とし卯辰八幡宮を宇多須神社に改称、明治12年(1879)には前田利長・前田利常が相殿に祀られ、平成10年(1998)に利家の正室である芳春院(お松の方)が合祀されました。

尾山神社の社格は創建時に郷社、明治7年(1874)に県社、明治35年(1902)に別格官幣社に列しています。尾山神社拝殿は明治6年(1873)に造営されたもので木造平屋建て、入母屋、正面千鳥破風、軒唐破風付き、桁行8間、張間6間、外壁は真壁造白漆喰仕上げ、欄間等の彫刻は金谷御殿から移したものとされます。尾山神社本殿は明治6年(1873)に造営されたもので、三間社流造、銅板葺き、玉垣は煉瓦造。

尾山神社:上空画像

【 尾山神社:神門 】-尾山神社の象徴である和洋折衷の神門は明治8年(1875)に建立されたもので3層和洋折衷楼門、1層目は石造洋風三連アーチ、2層目木造和風、3層目宝形造り開口部色ガラス(ギヤマン)日本最古の避雷針付き、類例の無い外観で技術的、意匠的にも優れている事から昭和25年(1950)に国指定重要文化財に指定されています。

【 尾山神社:東神門 】-東神門は江戸時代中期以前に旧金沢城の二の丸に設けられた金谷御殿の城門(唐門)として建てられた建物です。宝暦9年(1759)に金沢で放火があり河原町、本町、立町、千石町、御城御本丸、江戸町、金屋町と次々と火の手が広がり、金沢城にも類焼し多くの施設が焼失しましたが二の丸御殿唐門は類焼を免れました。

明治3年(1870)に戊辰戦争で犠牲となった加賀藩士108名の御霊を祭る為、卯辰山に招魂社が創建されると、その神門として移築されましたが、昭和38年(1963)に藩祖前田利家を祭る尾山神社の東神門として再び移築されています。

尾山神社東神門は向唐門、桟瓦葺、一間一戸、間口3.5m、特に唐破風部の龍と雲の彫刻が見事とされ、欄間部には前田家の家紋である「加賀梅鉢」も彫刻され、壁面に施された二匹の龍は宝暦9年(1759)の火災からこの門を守ったとの伝説が残されています。尾山神社東神門は数少ない金沢城の遺構として貴重で、「造形の規範になっているもの」との登録基準を満たしている事から平成15年(2003)に国登録有形文化財に登録されています。

尾山神社の文化財
・ 尾山神社神門−明治8年−国指定重要文化財
・ 太刀(朱塗台雲龍金蒔絵鞘)−桃山時代−国指定重要文化財
・ 脇指刀(朱塗台雲龍金蒔絵鞘)−桃山時代−国指定重要文化財
・ 能楽(20数面)−江戸時代−金沢市指定文化財
・ 尾山神社庭園(池泉回遊式庭園)−江戸時代−石川県指定名勝
・ 尾山神社東神門(旧金沢城二の丸御殿唐門)−国登録有形文化財

尾山神社:周辺駐車場マップ

唐門を簡単に説明した動画

【 参考:サイト 】
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
公式ホームページ
【 参考:文献等 】
・ 郷土資料事典-ふるさとの文化遺産-石川県-出版元:株式会社人文社
・ 現地案内板


尾山神社:ストリートビュー

尾山神社:神門・社殿・境内・写真

尾山神社境内の正面に設けられた石鳥居と石造社号標
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尾山神社石段から見上げた神門(神社山門) 尾山神社神門(神社山門)から見た境内 尾山神社境内から見た拝殿正面と狛犬と燈篭 尾山神社拝殿右斜め正面
尾山神社本殿と煉瓦造の玉垣、石燈篭 尾山神社東神門(金沢城の2の丸御殿唐門) 尾山神社神門の上層部 尾山神社力石


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