高田家住宅(金沢市長町)概要: 高田家は江戸時代、加賀藩に仕えた550石の平士級武家の家柄です。平士とは加賀藩の武家の身分を現す職制の一つで概ね80石から2400石程度の知行高(加賀藩では4公6民制度を採用していた為、実際の収入は知行高の4割程度で高田家に当てはまると220石にあたります。)が与えられました。
平士は江戸時代後期には約1400家、御馬廻組、定番御馬廻組、組外、小将組、新番組に分けられ御算用場奉行、郡奉行・改作奉行、御細工奉行、御普請奉行などの役職を担当しました。加賀藩では所謂中級武士にあたりますが、石高からいうと小中藩の上級武士と同等で屋敷の構えも格式の高いものでした。
高田家は大野庄用水沿い(金沢市長町)に屋敷を構え、往時は約443坪の敷地に立派な主屋が建てられていたそうですが現在は主屋は取り壊され約270坪の屋敷と江戸時代末期の文久年間(1861〜1864年)頃に建てられたと推定される長屋門が現存しています。
長屋門は一定の石高以上が許される格式の高いもので、高田家では門以外にも馬屋(往時は2頭の馬が繋がれていた)と仲間部屋(奉公人が生活した部屋)が付属され規模が大きくなっています。
長屋門は木造平屋建、切妻、桟瓦葺、梁間2間、亀甲積み風に石張りされた基礎の上に建てられ(本来、平士は野面積の基礎しか認められていませんでしたが、時代が下がると格式の高い切石積を採用する例が増えました)、外壁は押縁下見板張りで軒下が土壁で仕上げられています。
高田家住宅の長屋門は江戸時代に建てられた武家屋敷の遺構として貴重な存在で昭和62年(1987)に金沢市指定保存建造物(金沢市内にある建造物で歴史上または芸術上価値の高いもの)に指定されています。又、高田家住宅の敷地内は大野庄用水の用水を取り込んだ池泉観賞式武家庭園を中心に整備され一般に公開されています。
旧加賀藩士高田家跡:上空画像
長屋門を簡単に説明した動画
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