宇多須神社(金沢市)概要: 宇多須神社は東茶屋街の最奥地(金沢市東山1丁目)に鎮座している神社です。宇多須神社の創建は養老2年(718)、裏面に卯と辰の紋様がある古鏡を佐和田川(現在の浅野川)で発見した事からこの鏡を卯辰神として祀ったのが始まりと伝えられています。
当初は卯辰村字一本松に鎮座し卯辰治田多門天社と称し周辺の總社でしたが、南北朝の動乱である元弘、建武の兵火により社殿が焼失し現在地に遷座しました。
慶長4年(1599)初代前田利家(加賀藩の藩祖)が亡くなると利家を主祭神とした神社の建立が望まれましが、当時、2代前田利長(初代加賀藩主)は徳川家康暗殺の嫌疑が掛けられるなど不安定な情勢下にあり、徳川家の疑念になる事を避ける必要がありました。
その為、利長が越中領主時代の崇敬社だった物部八幡神社(富山県高岡市)と榊葉神明宮(富山県氷見市)の分霊を金沢城の北東方向(鬼門)にあたる卯辰治田多門天社境内に勧請し卯辰八幡宮を創建、その上で利家の神霊を合祀しました。利家は死去する直前まで家康と対立する立場にあり、利家を崇拝する事はすなわち家康と対立する事になり公には出来なかったと思われます。
その後は金沢城の鬼門鎮護や金沢五社(宇多須神社、小坂神社、神明宮、椿原天満宮、安江八幡宮)に定められるなど藩社として庇護され社運も隆盛しました。
又、境内の井戸から汲み上げる水は御神水(弥都波能売神)として信仰の対象となり5代前田綱紀(4代藩主)が疱瘡に罹った際は御神水に酒を混ぜ祈祷したものを体に浴びせ治したと伝えられています。
明治4年(1871)に廃藩置県が施行すると庇護者を失い卯辰八幡宮が荒廃した為、明治6年(1873)に金沢城の金谷出丸(金谷御殿)の跡地の前田利家の神霊を遷座し尾山神社を創建しています。
当地に残された当社は明治11年(1878)に社殿が破却され、明治34年(1901)に卯辰山の旧名(宇多須山)から宇多須神社に社号を改称、明治35年(1902)には県社に列しています。
宇多須神社拝殿は木造平屋建て、切妻、桟瓦葺き、平入、桁行4間、正面1間切妻向拝付き、外壁は真壁造板張り。宇多須神社本殿は覆い屋内部の為に不詳。祭神は高皇産靈神、武甕槌男命、大國主神、市杵嶋姫命、大山祇命、八重言代主命、少彦名神、宇迦之御魂命、豐受大神、崇徳天皇。
宇多須神社:上空画像
【 参考:文献等 】
・ 現地案内板-宇多須神社社務所
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