石動山天平寺・旧観坊(中能登町)概要: 石動山天平寺は往時、伊須流岐比古神社の別当寺院として寺運が隆盛し、山内に58坊を構え、3000人の修行僧が修行を行っていました。
明治時代初頭に発令された神仏分離令とその後に吹き荒れた廃仏毀釈運動により、石動山天平寺は廃寺、58坊も事実上廃され、多くの寺坊が離散しました。旧観坊は石動山天平寺に数多くあった坊の1つで、廃寺後は殆どの建物が払い下げ、破却される中、農家の住宅として再利用された為現状が維持されました。
旧観坊は江戸時代末期に建てられたと推定されているもので入母屋、茅葺、平入、桁行10間半、梁間6間、側面と背面に下屋(張り出し部分は便所)。
外壁は真壁造り、素木板張り、内部の右側が土間、土間に接する正面に「クチノマ」、その背後に「オエ(ダイドコロ)」、土間に張り出すように「ミンジャ」、左側が座敷廻りで正面に「奥座敷」、「前座敷」、その背後に「ナンド」、「チャノマ」が配されていました。
旧観坊は一見農家風の建物ですが細部に施されている意匠や絵様舟肘木、化粧垂木、組物などから格式が伺えます。旧観坊は石動山天平寺の境内に残された唯一の寺坊の遺構として貴重な存在で昭和50年(1975)に石川県指定有形文化財に指定されています。
旧観坊:上空画像
【 参考:文献等 】
・ 現地案内板-中能登町教育委員会
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