松尾芭蕉(奥の細道・加賀路:石川県・編)

石川県:歴史・観光・見所(ホーム)>松尾芭蕉

石川県(加賀路)の行程

日 付
名 称
場 所
内   容
・元禄2年
・7月15日
・金沢城下・高岡から倶利伽羅峠を経て金沢城の城下町の京屋吉兵衛方で宿泊しています。
・元禄2年
・7月16日
・金沢城下・京屋吉兵衛方から宮竹屋喜左衛門(竹雀)方に宿所を変えています。
・元禄2年
・7月17日
・金沢城下・芭蕉は源意庵に招かれ、曾良は病気の為に宿所で休息。
・元禄2年
・7月18日
・金沢城下・記事無
・元禄2年
・7月19日
・金沢城下・宮竹屋喜左衛門(竹雀)方に金沢の俳人達が集まったそうです。
・元禄2年
・7月20日
・金沢城下・松玄庵(斉藤一泉が所有した犀川の畔にあった庵)で接待を受け、その後句会が開かれています。夕方には野田山に出かけたようです。
・元禄2年
・7月21日
・金沢城下・曾良は未だに体調が万全ではなく、薬をもらっています。芭蕉は金沢の門人達と金沢城の城下町にあるお寺廻りをしています。
・元禄2年
・7月22日
・金沢城・曾良は未だに体調が万全ではなく、薬をもらっています。芭蕉は金沢城の城下町にある願念寺で、門人だった一笑の追善会に出席しています。
・元禄2年
・7月23日
・金沢城・曾良は未だに体調が万全ではなく、薬をもらっています。芭蕉は雲口達に誘われ宮の越に出かけています。
・元禄2年
・7月24日
・小松城下・金沢城の城下町を出立し、門人達に見送られながら小松城の城下町に至り、同地の近江屋で宿泊しています。
・元禄2年
・7月25日
・小松城下・小松を出立しようとしたが、住民達の懇願により滞在を決め立松寺に宿所を移し、多田八幡を参拝、その後、山王神社の神主である藤井宅に招かれ句会が開かれています。
・元禄2年
・7月26日
・小松城下・観生の亭に招かれて句会に出席。
・元禄2年
・7月27日
・山中温泉・諏訪神社(現在の菟橋神社)の祭礼を見学した後、多田八幡を参拝し、小松城の城下町を出立。山中温泉に至り久米之助方(和泉屋)で宿泊。
・元禄2年
・7月28日
山中温泉・薬師堂(現在の医王寺)を参拝し山中温泉の温泉街の見学。
・元禄2年
・7月29日
・山中温泉・道明が淵(現在の鶴仙渓)を見学。
・元禄2年
・7月30日
・山中温泉・道明が淵(現在の鶴仙渓)を見学。
・元禄2年
・8月1日
・山中温泉・黒谷橋を見学。
・元禄2年
・8月2日
・山中温泉・記事無
・元禄2年
・8月3日
・山中温泉・雨の為に外出を控えたようです。
・元禄2年
・8月4日
・山中温泉・雨の為に外出を控えたようです。
・元禄2年
・8月5日
・小松城下・山中温泉を出立し、芭蕉は那谷寺を参拝した後に生駒万子に会う為に小松城の城下町に至り、同地で宿泊。一方、曾良は体調の回復を図るために行程を早め大聖寺の全昌寺に宿泊。
・元禄2年
・8月6日
・小松城下・芭蕉は小松天満宮の宮司能順を訪ねています。一方、曾良は雨が降った為に出立を諦め、菅生石天神(現在の菅生石部神社)を参拝しています。
・元禄2年
・8月7日
・大聖寺城下・小松城の城下町を出立し、大聖寺城下に至り、同地の全昌寺で宿泊。当日の朝、曾良は全昌寺から出立。
・元禄2年
・8月8日
・大聖寺城下・大聖寺城下を出立し、越前国に至っています。
スポンサーサイト

[ 金沢市の町並み(ひがし茶屋街・卯辰山寺院群・主計町茶屋街・にし茶屋街・長町) ]・[ 石川県日本三大(兼六園・倶利迦羅不動尊・医王寺:山中温泉) ]・[ 石川県の温泉街(山中・山代・粟津・湯涌) ]・[ 行基菩薩 ]・[ 松尾芭蕉 ]・[ 日本武尊 ]・[ 石川県の伝統的・町並み(東山ひがし・輪島市黒島地区・加賀橋立) ]・[ 石川県の伝統的・町並み(卯辰山山麓寺院群・主計町・加賀東谷) ]・[ 北陸三十三ヵ所観音霊場 ]・[ 北陸白寿三十三観音霊場 ]・[ 北陸三十六不動霊場 ]・[ 延喜式内社 ]・[ 二重門・楼門・鐘楼門 ]・[ 随身門・神門・中門 ]・[ 茅葺(古民家・寺院・神社) ]・[ 石川県の本殿 ]・[ 石川県の拝殿 ]・[ 石川県の本堂 ]・[ 石川県の御堂 ]・[ 建築物(国指定重要文化財) ]・[ 建築物(県指定有形文化財) ]・[ 弘法大師空海 ]・[ 役行者 ]・[ 泰澄大師 ]
※ 「全国の松尾芭蕉:縁の社寺・温泉」は「郷土資料辞典」、「日本の城下町」、「観光パンフレット」、「観光地案内板」、「関係HP」等を参考にさせていただいています。リンクはフリーですが画像や文章等のコピーは行わないでください。※プライバシーポリシーはこちらです。