石川県の伝統的・町並み2

  石川県:歴史・観光・見所(ホーム)>石川県の伝統的・町並み2(卯辰山山麓寺院群・主計町・加賀東谷)
項     目 場  所 備  考
・卯辰山
・山麓寺院群
・石川県
・金沢市
卯辰山山麓寺院群は江戸時代に金沢城城下町に町割された3つの寺町の1つです。金沢城は防衛の為に武家屋敷(長町)や、町人町の外側に3箇所の寺町を設け、1つは金沢城の背後を守る「小立野台」、鶴来街道(白山街道:信仰の山である白山への登拝道)と野田往還(藩主前田家の墓域である野田山に続く道)の出入り口を守る「寺町」、北国街道(北陸街道:加賀藩の参勤交代で利用)の出入り口を守る「卯辰山」に数多く寺院を集めました。特に卯辰山は山麓に寺町が町割された為、起伏が多く、石垣や石段、坂など様々な景観要素があり、それが寺院の門や土塀、隙間から見える本堂の瓦屋根などが重なり風情ある町並みが形成されています。卯辰山山麓寺院群は国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されています。
・主計町 ・石川県
・金沢市
・主計町
・金沢市主計町は金沢三茶屋街に数えられる「主計町茶屋街」のあった町です。「ひがし茶屋街(東山ひがし)」と「にし茶屋町」が文政3年(1820)に町割されているのに対して主計町茶屋町は幕末から明治初頭に形成されたと推定されています。場所的には東山ひがしに隣接している事から、ひがし茶屋町の発展繁栄に伴い、周辺にも許可を取らない不法な茶屋の出店が相次ぎ、それを受け入れる形で町割されたと思われます。その為、成立理由からか、ひがし茶屋が大商人や文化人が利用したのに対して主計町茶屋町は敷居が低く庶民も利用し、明治時代以降になると官庁街が近い事から役人の利用が目立ったとされます。敷地全体も狭く、込った印象を受けそれが、東山ひがしには無い魅力となっています。又、浅野川沿いの茶屋建築は、川の流れを見る為に3階建てにするものが多く、特徴ある町並みを形成しています。金沢市主計町は国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されています。
・加賀東谷 ・石川県
・加賀市
・加賀東谷
加賀市加賀東谷は江戸時代、大聖寺藩の藩域で藩の特産物の1つである炭の生産地として知られていました。特に加賀東谷で生産された炭は「御用炭」と呼ばれ藩の保護を受けました。最盛期には大聖寺川と動橋川沿いには21の集落があり1700人余りの人々が生活を営んでいましたが、明治時代後期以降、炭が生活必需品では無くなった事などから急速に過疎化し、現在では「荒谷集落」、「今立集落」、「大土集落」、「杉水集落」の4集落数10人となってしまいました。加賀市加賀東谷は現在でも山村集落の優れた景観を維持している事から国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されています。

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