輪島市: 上時国家住宅

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概要・歴史・観光・見所
上時国家住宅(輪島市)概要: 平時忠は平将門の義弟にあたる人物で寿永4年(1185)の壇ノ浦の戦いで敗北すると捕縛され、能登国に配流されました。配流については諸説ありますが、三種の神器の内の神鏡を守り献上した、又は源義経に娘を嫁がせたなどが理由で死罪が免れたと伝えられています。時忠の跡を継いだ5男時国はこの地の土着すると時国村を開き時国家初代となり、後裔は周辺地域にも影響力を及ぼす豪農となり江戸時代初期には300石を領しました。江戸時代に入ると所有地が加賀藩、越中土方領に分割された為、管理が煩雑になった為、寛永11年(1634)、13代藤佐衛門時保の時に上時国家と下時国家に分け、上時国家は越中土方領(貞享元年:1684年、土方雄賀領は御家騒動により改易となり後は天領となっています。)南時国村(200石)の大庄屋(加賀藩領の時は十村役)、下時国家は加賀藩領西時国村(100石)の肝煎りや塩吟味役、山廻役などを歴任し名字帯刀が許されていました。現在の上時国家住宅主屋は天保2年(1831)頃に建てられたもので、大きく格式の高い公用部と裏方にあたる私用部に分けられています。建物は木造平屋建て(1部2階)、入母屋、茅葺、四面庇付、桁行29.1m、梁間18.1m、東面突出部は切妻、桟瓦葺、桁行10.2m、梁間10.3m、玄関には大きな空破風屋根が付いていて上時国家の格式の高さを表しています。棟梁は京都東本願寺の建築にたずさわった安幸という大工が手掛け完成まで28年間費やしたと云われ、御前の間をはじめ、伺いの間、上の広間、下の広間、回り座敷、客間向きの湯殿など当時の豪農の生活をうかがわせ、大きさ的にも北陸地方最大級の規模を誇ります。特には御前の間(別称大納言の間)は縁金折上格天井や透かし彫りの欄間、床の間、違い棚、書院が備わった大納言の格式とされ、嘉永6年(1853)に上時国家住宅を訪れた加賀藩12代藩主前田斉泰は中納言だった為、入室を躊躇したと伝えられています。上時国家住宅主屋(南面湯殿及び便所、西面門及び塀附属)・土蔵・納屋は"流派的又は地方的特色において顕著なもの"として平成15年(2003)に国指定重要文化財に指定されています。又、背後に広がる庭園は鎌倉風の池泉回遊式庭園とされ国指定名勝に上時国家文書は石川県指定有形文化財に指定されています。
上時国家住宅
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