總持寺祖院

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概要・歴史・観光・見所

總持寺祖院(輪島市)概要: 諸岳山總持寺祖院は石川県輪島市門前町門前に境内を構えている曹洞宗の寺院です。總持寺祖院の創建は天平年間(729〜749年)、行基菩薩(奈良時代の高僧)により開かれたのが始まりと伝えられています。当初は、真言宗の寺院で諸岡寺と称し延長5年(927)に編纂された延喜式神名帳に式内社小社として記載されている諸岡比古神社(門前近郷108カ村の総鎮守)の社僧院として発展しました。

元亨元年(1321)、当時の住職である定賢が霊夢の御告げにより瑩山紹瑾(永平寺、大乗寺を経て永光寺開山)に寺を譲ると、瑩山は「總持寺」と寺号を改称し曹洞宗の寺院として境内を整備し「諸岳山十条之亀鏡」を制定し、この時諸岡比古神社は現在地である輪島市門前町道下に遷座したとされます。

元亨2年(1322)には時の為政者である後醍醐天皇の勅問全て答えた事から「總持寺」の勅額を賜り、祈願所として「日本曹洞賜紫出世之道場」(曹洞宗の総本山)に定められた事で寺運が隆盛し、その後も後村上天皇、後奈良天皇、後陽成天皇、後光明天皇から綸旨が下賜されました。

跡を継いだ2世峨山韶磧も名僧とされ、曹洞宗の布教に尽力し総持寺は峨山派の本拠として発展しました。特に峨山には有能な弟子達が集まり「峨山二十五哲」の異名があり特に「峨山五哲」と呼ばれる太通・通幻・無端・大徹・実峰は傑出しそれぞれ普蔵院・妙高院・洞川庵・伝法庵・如意庵を設け「総持寺の五院」と呼ばれました。

歴代領主からも庇護され鎌倉時代には能登半島の国人領主である長谷部氏(後の長氏)、室町時代は能登守護職である畠山氏、為政者である室町幕府の祈願所になるど寺運が隆盛し最盛期には末寺1万6千余を擁する大寺院として発展し、江戸時代は加賀藩(石川県金沢市:本城−金沢城)主である前田氏から寺領の寄進や堂宇の造営などが行われました。

特に歴代前田家が篤く庇護し元亀元年(1570)の兵火で多くの堂宇が焼失すると天正9年(1581)に織田信長の家臣で新たに能登の領主(七尾城の城主)になった前田利家が再興し、慶長15年(1610)に前田利家の正室芳春院により山門が寄進、明暦3年(1657)には寺領400石を寄進、寛保3年(1743)には加賀藩5代藩主前田吉徳が経堂を寄進しています。

總持寺は永平寺(福井県永平寺町)との曹洞宗の大本山争いは古来から幾度と無く繰り返され、元和元年(1615)に幕府の裁定により両寺が揃って大本山として認められる結果となり、幕府の祈願所として1000両が寄付されています。明治31年(1898)の大火により多くの堂宇が焼失、これを機により大本山の移転を求める声が高まり明治44年(1911)に神奈川県横浜市鶴見区へ移転、能登の總持寺は「總持寺祖院」と呼ばれるようになりました。

總持寺祖院大祖堂(本堂)は大正時代に造営されたもので、木造平屋建、入母屋、桟瓦葺、平入、桁行30m、梁間26m、唐破風玄関屋根、外壁は真壁造白漆喰仕上げ、建築面積883u。現在でも再建当時の堂宇が数多く残され、多くが国の登録有形文化財に登録されています。山門は昭和初期に造営されたもので、入母屋、桟瓦葺き、三間三戸、八脚二重門、建築面積148u、山廊付、「再現することが容易でないもの」との登録基準を満たしている事から平成20年(2008)に国登録有形文化財に登録されています。

總持寺祖院経蔵は寛保3年(1743)に加賀藩5代藩主前田吉徳が造営したもので重層宝形造、こけら葺き、裳階付き、桁行3間、梁間3間、外壁は真壁造白漆喰仕上げ、花頭窓付、棟梁は大西久左衛門真吉備政乗、江戸時代中期の寺院建築の遺構として貴重な事から昭和42年(1967)に石川県指定有形文化財に指定されています。

慈雲閣は總持寺祖院最古の建物で木造平屋建て、入母屋、桟瓦葺、平入、桁行2間、梁間2間、外壁は真壁造り白漆喰仕上げ、腰壁は板張り、御堂建築の遺構として貴重な事から平成16年(2004)に輪島市指定文化財に指定されています。北陸三十三ヵ所観音霊場第15番札所。山号:諸岳山。宗派:曹洞宗。本尊:釈迦牟尼仏。

【 總持寺祖院の門前町 】−總持寺祖院は神奈川県横浜市鶴見区へ移転する以前は曹洞宗の大本山だった為、境内には多くの僧侶が修行に励み、その消費地として門前町が発展しました。門前町には大工や葺師兼桶屋、畳屋、鍛冶屋、表具師、ローソク屋、蝋屋など寺院の運営や堂宇の修復に関係が深い店や職業が多く、大本山移転後は大きな影響を受けましたが、境内は總持寺祖院として残された事で、門前町も存続しました。そのような中、明治28年(1895)に建てられた旧酒井家住宅主屋と明治37年(1904)に建てられた土蔵は輪島市(旧門前町)指定文化財に指定されています。隣接する海沿いの集落である黒島集落では門前町を支える為に、廻船業を営む舟問屋を数多く輩出し現在も当時の町並みを色濃く残しています。

總持寺祖院の文化財
・ 漆塗袈裟箱−輪島市指定文化財(工芸品)
・ 皇帝勅諭刺繍書幅−輪島市指定文化財(工芸品)
・ 天竜寺青磁花入−輪島市指定文化財(工芸品)
・ 総持寺経蔵−石川県指定文化財(建造物)
・ 金銅五鈷鈴−石川県指定文化財(工芸品)
・ 紙本著色花鳥図(伝元信筆)−石川県指定文化財(絵画)
・ 紙本著色頻婆裟羅王・韋提希夫人像−石川県指定文化財(絵画)
・ 紙本水墨元画浪龍図−石川県指定文化財(絵画)
・ 絹本著色明画十六羅漢図−石川県指定文化財(絵画)
・ 桃尾長鳥鎗金手箱−石川県指定文化財(工芸品)
・ 石造地蔵菩薩立像−輪島市指定文化財(彫刻)
・ 梵鐘(殿鐘)−輪島市指定文化財(工芸品)
・ 抹茶碗(のんこう)−輪島市指定文化財(工芸品)
・ 抹茶碗(金海猫掻茶碗)−輪島市指定文化財(工芸品)
・ 万丈狂言の図(絵馬)−輪島市民俗文化財
・ 總持寺祖院・太祖堂正面扉−輪島市指定文化財(工芸品)
・ 總持寺祖院・普蔵院寺号額−輪島市指定文化財(工芸品)
・ 總持寺祖院・洞川庵寺号額−輪島市指定文化財(工芸品)
・ 木造観世音菩薩坐像−輪島市指定文化財(彫刻)
・ 伝燈院−輪島市指定文化財(建造物)
・ 慈雲閣(観音堂)−輪島市指定文化財(建造物)
・ 木造阿弥陀如来立像−輪島市指定文化財(彫刻)
・ 山岡鉄舟襖書−輪島市指定文化財(書跡)
・ 喚鐘−輪島市指定文化財(工芸品)
・ 台燈籠−輪島市指定文化財(工芸品)
・ 總持寺祖院大祖堂−国登録有形文化財
・ 總持寺祖院仏殿−国登録有形文化財
・ 總持寺祖院放光堂及び廊下−国登録有形文化財
・ 總持寺祖院香積台−国登録有形文化財
・ 總持寺祖院鐘鼓楼−国登録有形文化財
・ 總持寺祖院山門−国登録有形文化財

總持寺祖院:上空画像

高麗門を簡単に説明した動画

八脚門を簡単に説明した動画

【 参考:サイト 】
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
公式ホームページ
【 参考:文献等 】
・ 郷土資料事典-ふるさとの文化遺産-石川県-出版元:株式会社人文社
・ 現地案内板-石川県
・ 現地案内板


總持寺祖院:ストリートビュー

總持寺祖院(経蔵・仏殿):写真

總持寺祖院境内正面に設けられた総門と石燈篭
[ 付近地図: 石川県輪島市 ]・[ 輪島市:観光・歴史・見所 ]
總持寺祖院:加賀藩6代藩主、前川吉徳が寄進した経堂 總持寺祖院経堂内部の経蔵と傅大士像 總持寺祖院山門(二重門)と木橋 總持寺祖院山門(二重門)左斜め前方と翼舎
總持寺祖院洞川庵と回廊 總持寺祖院庭園越の法堂(大祖堂)左斜め前方 總持寺祖院石畳沿いにある石塔とその奥にある法堂(大祖堂) 總持寺祖院法堂(大祖堂)唐破風
總持寺祖院庭園越に見る仏殿 總持寺祖院仏殿 總持寺祖院僧堂では准堤観音像が安置されています 總持寺祖院:瑩山紹瑾の霊廟である伝燈院の唐門
總持寺祖院:瑩山紹瑾の霊廟である伝燈院 總持寺祖院放光堂 總持寺祖院の経営的な中心を担う香積台 總持寺祖院庭園


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