山代温泉(石川県加賀市・観光)・歴史:概要 山代温泉の開湯は神亀2年(725)、行基菩薩が白山に修行へ向う際、1羽の烏が傷を癒す姿を見つけ源泉を発見したのが始まりと伝えられています。行基は霊地と悟り薬王院温泉寺を開き山代温泉の守護にすると白山五院の1つとして隆盛し多くの僧坊が建立されたそうです。その後一時衰退しましたが、寛和・永延年中(985〜988年)花山法王が山代温泉と薬王院を再興、勅願により五十音を始めて提案したと云えられる明覚上人が派遣され開発に尽力を尽くしました。
山代温泉の名声はその後、全国に広がり、永禄8年(1565)には織田信長の家臣明智光秀も湯治に訪れ10日間傷を癒し、同じく前田利家も利用したそうです。江戸時代に入ると大聖寺藩から保護され特に初代藩主前田利治は山代温泉に藩主専用の湯壺を設け、湯番頭として荒屋源右衛門を任命しています。湯壺のある総湯には源泉から直接温泉を引いて集められ、そこから各湯宿に分配していた為、現在見られる総湯を囲むような山代温泉独特の温泉街の町並みが形成されていきました。又、山代温泉は文人墨客からも愛され、与謝野晶子は「山代の いで湯に遊ぶ 楽しさは たとえて言えば 古九谷の青」の歌を残し、北大路魯山人は山代温泉に半年間滞在し数多くの作品を残しています。山代温泉の源泉は、1日約1000キロリットル、泉温は約64℃。
山代温泉の泉質
・ ナトリウム・カルシウム-硫酸塩泉・塩化物泉
・ ナトリウム・カルシウム-硫酸塩泉
・ アルカリ性単純温泉
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