長齢寺(前田家:菩提寺)

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【 菩提者 】 前田利春は前田利隆の子供として生まれ前田家の家督を継ぎ荒子城(名古屋市中川区荒子)の城主となりました。織田信長の筆頭家老林秀貞の与力として仕え2千貫を領していました。永禄3年(1560)に死去、戒名「道機庵休嶽居士」、遺骸は尾張国荒子の浄海山圓龍(円竜)院観音寺に葬られたと伝えられています。利春夫人は竹野氏出身とされ利春との間には長男利久、次男利玄、3男安勝、4男利家、5男(佐脇氏)良之、6男秀継、女子2人の6男2女に恵まれ天正元年(1573)に死去、戒名「長齢妙久大姉」、遺骸は越中国府中(福井県越前市府中)の宝円寺に葬られたと思われます。前田安勝は利春の3男で当初は4男の利家が家督を継いだ為、荒子城を退去したと思われますが、利家が出世し府中城(福井県越前市)の城主になると家臣になったと思われます。天正10年(1582)の能登棚木城攻略戦や石動山合戦で功を挙げ、天正11年(1583)に利家と入れ替わりに小丸山城(石川県七尾市)の城代となります。その後は末森の合戦などで功を挙げ1万3千5百石が与えられましたが文禄3年(1594)に死去、菩提は長齢寺(七尾市)に葬られました。安勝の跡を継いだ利好は引き続き小丸山城の城代となり慶長15年(1610)に死去し同じく長齢寺に葬られました。長齢寺は前田家の菩提寺で、元々は利家が府中時代に城下にあった宝泉寺の住職大透圭徐禅師を篤く帰依し、利家が天正9年(1581)に七尾城の城主になると大透圭徐禅師を招き七尾でも宝泉寺を創建しました。さらに、利家が天正11年(1583)に金沢城(石川県金沢市)に移ると大透圭徐禅師を金沢に招き、ここでも宝泉寺を開いた為、七尾の宝泉寺を両親の戒名に因み「休嶽山長齢寺」に改称しました。長齢寺境内には前田利家・利長石廟が残され七尾市指定文化財に指定されています。

【 寺  号 】 長齢寺
【 所在地 】 石川県七尾市小島町
【 中興年 】 天正9年(1581)
【 開  山 】 大透圭徐禅師(宝円寺住職)
【 開  基 】 前田利家
【 山  号 】 休嶽山
【 宗  派 】 曹洞宗
【 本  尊 】 釈迦牟尼
【 備  考 】 絹本著色前田利春画像(長谷川等伯作?)−国指定重要文化財−指定日:昭和25年
絹本著色前田利家画像−国指定重要美術品−指定日:昭和12年
絹本著色長齢婦人画像−石川県指定文化財−指定日:昭和44年
絹本著色前田安勝画像−七尾市指定文化財−指定日:昭和52年
絹本著色前田利政画像−七尾市指定文化財−指定日:昭和52年
前田利家・利長石廟−七尾市指定文化財−指定日:平成20年
前田利昌夫妻の墓碑
前田安勝・利好の墓碑
石川県大名菩提寺
野田山(金沢市:加賀藩主前田家)宝円寺(金沢市:前田利家)天徳院(金沢市:珠姫)大乗寺(金沢市:加賀八家本多家)東嶺寺(七尾市:加賀八家長家)長齢寺(七尾市:前田家)龍門寺(七尾市:畠山義元)実性院(加賀市:大聖寺藩主前田家)全昌寺(加賀市:山口宗永)萬福寺(能登町:松波畠山家)
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