加賀東谷(山村集落)・町並み

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写  真 備  考
加賀東谷(山村集落)
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【加賀東谷】−加賀東谷は動橋川の上流に位置し、動橋川が当時、東川と呼ばれ、谷を形成していた事から東谷と呼ばれていた地域でした。所謂、山村集落で周囲には豊富な山林資源があった事から、江戸時代に入り大聖寺藩が立藩し支配下に入ると、藩の炭役を命じられ、御用炭の全てが当地域から生産されるようになりました。明治時代に入り大聖寺藩の廃藩後も引き続き製炭業と林業を主産業として多くの需要があり、さらに養蚕や焼畑なども行い一定の繁栄が続きましたが、太平洋戦争後は急速に衰退し、さらに、過疎化やダム建設により多くが廃村に追い込まれました。往時の保存地区内には7カ村、1700人の住民が生活していましたが、昭和35年(1960)に719人、平成22年(2010)には67人と減少し現在では荒谷町、今立町、大土町、杉水町の4集落がかろうじて集落での生活が維持する現状となっています(あくまで写真の撮影時の事で数十年後はどうなっているか想像も出来ません)。

現在、加賀東谷に残されている家屋の多くが炭焼きを生業としていた為、木造2階建、切妻、赤瓦葺、煙り出し屋根付、四周庇付、外壁は真壁造り、土壁、腰壁は下見板張りと、規模の大小や家主の好みで若干は異なるものの、大筋で統一した建物が多く見られ、周辺の自然や地形、石垣、水路、棚田、石造物(神社の鳥居、石灯籠、狛犬、石仏、石碑、石祠)、湧水(今立集落の「新保の池」は加賀国能美郡新保村(現在の石川県小松市新保町)から流れてきた農夫が、この水を利用して今立集落を開いたという伝承が残っています)、巨木(荒谷神社シダレザクラ群は加賀市指定天然記念物)、巨石(大土集落の「「ししぼ石」は昔、この石まで猪を追い込み捕獲したという伝承が残っています)、神社(荒谷町:荒谷神社・今立町:白山神社・大土町:大土神社・杉水町:吉備神社)などと相まって、見事な集落景観を形成しています。屋根については当初は茅葺屋根が主流でしたが昭和13年(1938)に大土町の大火で茅葺屋根の大部分の建物が焼失し、その後は瓦葺の建物として再建、その他の集落もそれに習い順次瓦葺きとなり戦後に現在のような姿になったそうです。

加賀東谷は現在でも当時の山村集落の形態を大変良く留めており、加賀市山中温泉荒谷町イ、ロ、ハ、ニ、ホ、へ、ヲ、山中温泉今立町イ、ロ、ハ、ニ、乙、丙、丁、山中温泉大土町イ、ロ及び山中温泉杉水町イ、ロ、ハ、ホの全域並びに山中温泉荒谷町山林ロ、山中温泉今立町ホ、へ、ト、チ、リ、ヌ、ル、甲、山林ニ、山林リ、山林ル、山中温泉大土町ハ、ニ、山林イ及び山中温泉杉水町ニ、へ、ト、山林イ、山林ロ、山林ニの各一部の東西5280m、南北4950m、面積約151.8haが名称「加賀市加賀東谷伝統的建造物群保存地区」として平成23年(2011)に国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されています。

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