竹久夢二歌碑(湯涌温泉)概要: 案内板によると「 夢二は岡山県出身の画家であり詩人である。その美人画は夢二式と呼ばれて明治末から大正にかけて大いに流行した。大正6年(1917)9月、夢二は愛人の笠井彦乃とこの湯涌の地に逃避行し山間の湯に旅情を慰めた。「寂しくはあれど山のたたずまい雲のゆきかひ、朝夕眺めて飽くことを知らず」と記し、しばらく逗留した。 金沢市 」とあります。
歌碑は夢二が湯涌温泉に逗留の際、彦乃(笠井彦乃:山路しの・豪商笠井宗重の長女、夢二30歳、彦乃18歳の時が初見とされ、妻であるたまきと離婚前後から交際が始まったとされます。
宗重は2人の交際を認めず彦乃が結核で入院、死去した際も夢二とは会う事を許さなかったとされます。)とよく訪れたという薬師堂の境内に建立され、「 湯涌なる 山ふところの 小春日に 目閉じ死なむと きみのいふなり 」の歌が刻み込まれています。
湯涌温泉を訪れた時は2人にとっては短い幸せな時間だったとされ、彦乃は自分の病気を予感と幸せの実感から「今、このまま目を閉じて死んでもかなわない。」と語った事を後に夢二が短歌にしたと思われます。
竹久夢二歌碑:上空画像
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