加賀藩十村役喜多家住宅概要: 加賀藩十村役喜多家住宅は石川県羽咋郡宝達志水町北川尻に屋敷を構えている古民家です。喜多家は新田義貞を後裔と伝わる旧家で、戦国時代は能登国守護職の畠山家に仕え、寛永15年(1638)に北川尻に土着して帰農しました(本家は享和元年:1801年に河北郡倉見村に移り、北川尻には分家が残りました)。
江戸時代後期にあたる文政2年(1819)には加賀藩から十村役を任ぜられ2300石、101ヵ村を支配する豪農として当地方に大きな影響力を持ちました。
現在の喜多家住宅主屋は19世紀初期の文化年間から文政年間(1804〜1830年)に建てられたもので木造平屋建て、切妻、妻入、桟瓦葺、桁行16.8m、梁間20.6m、南側の突出部は入母屋、桟瓦葺、桁行9.2m、梁間6.4m。
主屋は藩主の御本陣を兼ねる為、格式の高い造りで御座の間や式台の間、使者の間、溜まりの間、代官所、謁見の間(仏間)などの部屋が配され、式台付きの玄関や床も間、違い棚、透かし彫りの欄間、釘隠し金物など意匠にも富んでいました。実際に嘉永5年(1852)、藩主が領内巡視の折には喜多家住宅が本陣として利用されました。
又、敷地内には表門(19世紀前半、長屋門、入母屋、茅葺、桁行13.6m、梁間3.6、番所・馬洗い井戸・馬小屋付き)、道具倉(元禄8年:1965年、土蔵2階建て、切妻、桟瓦葺、桁行8.2m、梁間7.3m)、味噌倉(天明6年:1786年、土蔵平屋、切妻、桟瓦葺、桁行7.4m、梁間4.0m)が配され共に昭和46年(1971)に国指定重要文化財に指定されています。
加賀藩十村役喜多家住宅:上空画像
長屋門を簡単に説明した動画
【 参考:文献等 】
・ 郷土資料事典-ふるさとの文化遺産-石川県-出版元:株式会社人文社
・ 現地案内板
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