橋爪門・続櫓(金沢城)概要: 橋爪門は本丸が寛永8年(1631)に焼失後の金沢城中枢である二の丸御殿の正門で金沢城三御門と呼ばれた橋爪門、河北門、石川門の中でも最も格式が高い門とされました。橋爪門は他の金沢城三御門と同様に1の門(高麗門)、2の門(櫓門)、続櫓(3層)で枡形で構成され、櫓や櫓門には石落し、1間ごとに鉄砲狭間が設けられています。
金沢城は雪国ということもあり屋根には鉛で被覆した瓦(鉛瓦)が使用され、雨や雪が当る腰壁には平瓦の目地を漆喰で固めた海鼠壁が採用されました。又、100万石の大大名の格式と威厳を示す為、唐破風や入母屋破風の出窓などを随所に設置し実践的かつ秀麗な建物になっています。橋爪門・続櫓は寛永9年(1632)に建設され、宝暦9年(1759)、文化5年(1808)、明治14年(1881)の火災で焼失し、近年、文化6年当時の姿に復元されています。
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