二の丸(金沢城)概要: 寛永の大火(1631)までは本丸に御殿がおかれ、金沢城の中心でしたが大火後は2の丸に移り、藩主の住居や公式政務が行われる大広間、能舞台などが設けられました。宝暦9年(1759)、文化5年(1808)の大火で多くの施設が焼失しましたが順次再建され、大広間は千畳敷と呼ばれる金沢城を象徴とする大空間となり表と裏の能舞台が設けられ、2階建ての建物も建てられたそうです。
北東隅に配置された3層菱櫓は事実上の天守の役割を果たし重要視されました。明治時代に入り金沢城が廃城になると多くの建物が払い下げや破却、火災などで姿を失い、2の丸の遺構としては御殿の空門が尾山神社に、能舞台が中村神社の拝殿にそれぞれ移築されています。
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