崇神天皇皇子大入杵命墓(小田中親王塚)概要: 小田中親王塚は崇神天皇(第10代天皇)の皇子である大入杵命の陵墓と伝わるもので、底径67m、頂径20m、高さ14.5m、2段構成、北陸地方最大級の円墳と云われています(現在は宮内庁の管轄化となっている為、詳細な学術調査が行われず不詳)。
4世紀後半から5世紀初頭に築造されたと推定され北陸地方では最古級の歴史があり墳丘を葺石で飾り周囲を堀で囲うなど格式の高さも感じられます。副葬品には鍬形石、三角縁波文帯三神三獣鏡、三角縁獣文帯三神三獣鏡、菅玉などが出土しており朝廷との結びつきが強かったと思われます。
大入杵命は第10代天皇崇神天皇と尾張大海媛(意富阿麻比売・葛木高名姫命)との間に生まれた皇子で能登国に下ると能登の開発し尽力し当地で薨じ葬られました。後裔は能登を名乗り、能登国造を歴任するなど長く当地を支配した事から大入杵命は能登国造能登臣の祖とも云われています。
崇神天皇皇子大入杵命墓(小田中親王塚)は当時の古墳の遺構として貴重なことから陪臣塚と推定される小田中亀塚古墳と共に昭和33年(1958)に中能登町指定史跡に指定されています。
大入杵命墓(小田中親王塚):上空画像
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