山田寺(中能登町)概要: 山田寺の創建は天平宝字元年(757)、泰澄大師が開山したのが始まりと伝えらています。同じ境内にある白比古神社の別当として栄え本地仏であった十一面観音像をを祭っていました。
伊須流岐比古神社(石動山)と気多大社とは関係が深かった事から、南北朝時代には両社が与した北朝方として行動した為、南朝方の普門利清(井上俊清)に攻められ堂宇が焼失しています。天正10年(1582)、石動山と前田利家の対立でも石動山に同調した事で前田軍に攻められ衰微しましたが、その利家によって再興が図られました。
白比古神社は延長5年(927)に編纂された延喜式神名帳に記載されている式内社の論社で、歴代領主や加賀藩主から庇護され最盛期には16坊を抱える大社だった神社です。明治時代初頭に発令された神仏分離令により白比古神社から独立しましたが、境内の伽藍配置は神社と山田寺が交差する形式で残され当時の名残が見られます。
山田寺は寺宝が多く、「紙本著色両界曼荼羅図」、「十一面観音立像」、「庚申塔(石仏)」、「磬」が中能登町指定文化財に指定されています。
北陸三十三ヵ所観音霊場第二十番札所(札所本尊:十一面観世音菩薩・御詠歌:萩の露落ちて 流るる良川の 水上願う 人ぞ頼もし)。能登国三十三観音霊場第20番札所。北陸白寿三十三観音霊場第20番札所。山号:白良山。宗派:高野山真言宗。本尊:十一面観世音菩薩。
山田寺:上空画像
【 参考:文献等 】
・ 郷土資料事典-ふるさとの文化遺産-石川県-出版元:株式会社人文社
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