中能登町: 白比古神社

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概要・歴史・観光・見所
白比古神社(中能登町)概要: 白比古神社の創建は不詳ですが、別当寺院である山田寺は天平宝字元年(757)に泰澄大師が開いたとの伝承が残されている事から、同時期に白比古神社も勧請した説もあります。格式が高く延長5年(927)に編纂された延喜式神名帳に記載されている式内社白比古神社の論社で、古くから信仰されてきました。主祭神は白比古大神は能登地方の開発神大己貴命(大国主命)の御子神であることから大己貴命を主祭神とする気多大社と関係が深く、当時は気多大社の例祭である平国祭(気多大社から七尾にある気多本宮(現在の能登生国玉比古神社)まで神輿を御渡させる神事)の際、白比古神社で神輿を一泊させていたそうです。創建当初は背後の山頂付近に鎮座していたとされ明治45年(1912)に旧社地から古墳時代の神鏡と奈良時代以前の神剣が発見されています。天正年間(1573〜1593年)の兵火で社殿が焼失し麓である現在地に遷座再建されたと思われます。古くから神仏習合し菊理媛命を勧請したことで本地仏を十一面観音とし白山観音などと呼ばれ最盛期に16坊を抱える大社となりました。歴代領主も崇敬庇護し社領の寄進や社殿の造営が行われ、一時衰退しましたが康和5年(1103)に勅命により再興され神事(中臣祓)も復し、戦国時代末期には領主長連龍も篤く帰依、明治維新の際は前田家から蓬莱台や甲冑などが奉納されています。明治時代初頭に発令された神仏分離令により仏式が廃され別当寺院だった山田寺とは分離し明治6年(1873)に村社に列し明治39年(1906)に神饌幣帛料供進神社に指定されています。ただし現在も山田寺とは境内が混成し参道の両脇には山田寺の本堂や鐘楼、納経所等が建立されています。拝殿は入母屋、銅板葺、正面千鳥破風、平入、桁行4間、梁間6間、正面1間軒唐破風向拝付。本殿は一間社流造、銅板葺。

白比古神社:写真

白比古神社
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