七尾市: 能登生国玉比古神社(気多本宮)

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概要・歴史・観光・見所
能登生国玉比古神社(七尾市)概要: 能登生国玉比古神社は石川県七尾市所口町に鎮座している神社です。能登生国玉比古神社の創建は不詳ですが孝元天皇(第8代天皇・在位:紀元前214年〜紀元前158年)の時代に大己貴命を祭ったのが始まりと伝えられています。伝承によると大己貴命は出雲国出身の神で、能登半島まで進出してきた際、当地に巣くう毒蛇を退治し、その後住民が感謝の意から大己貴命を祭るようになったと伝えられています。崇神天皇(第10代天皇・在位:紀元前97年〜紀元前30年)の時代に祭神である大己貴命を羽咋郡竹津浦に遷宮し気多大社が創建、当社も引き続き奉斎が続き「気多本宮」と呼ばれるようになったとされます。気多大社は能登国に鎮座している神社の中で最高位である能登国一之宮である事から当社もその本宮として格式が高く、延長5年(927)に編纂された延喜式神名帳に式内社として記載されています。

歴代領主からも崇敬庇護され、建武元年(1334)には中院少将定清が社殿を改修し、源頼朝から社領を安堵され、弘治3年(1557)には能登国守護職畠山義綱により社殿が大改築されています。戦国時代に上杉謙信の能登侵攻の兵火により社殿が焼失しましたが、天正年間(1573〜1593年)に新たに領主(七尾城の城主)となった前田利家により現在に遷座され社領20俵が寄進されました(能登生国玉比古神社の旧境内は小丸山城の城内:石川県七尾市馬出町にあったとされ、前田利家が小丸山城を築城する際に現在地に遷座させたと思われます)。明治時代初頭に発令された神仏分離令により仏教色が一掃され神社として独立、明治5年(1872)に県社に列し、明治39年(1906)に神饌幣帛料供進神社に指定されています。

現在でも能登生国玉比古神社は気多大社との関係が深く、例祭である"おいで祭"では気多大社の神輿を迎え入れる神事が行われています。随神門(神社山門)は入母屋、銅板葺、三間一戸、桁行3間、張間2間、八脚単層門、内部に随神が安置されています。拝殿は木造平屋建て、入母屋(正面千鳥破風付)、銅板葺、平入、正面3間軒唐破風向拝付、外壁は真壁造り板張り、向拝には精緻な彫刻が施されています。本殿は入母屋、銅板葺、間口二間一尺、奥行一間二尺。祭神:大己貴神。配祀:素戔嗚尊、奇稻田姫命。

能登生国玉比古神社:写真

能登生国玉比古神社境内正面に設けらた大鳥居と石燈篭
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能登生国玉比古神社石造神橋と随身門(神社山門) 能登生国玉比古神社随身門(神社山門)から見た境内 能登生国玉比古神社境内から見た拝殿正面と石造狛犬 能登生国玉比古神社拝殿向拝と精緻な彫刻


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