住吉神社(輪島市)概要: 住吉神社は石川県輪島市鳳至町鳳至丁1番地に鎮座している神社です。能登半島に位置する住吉神社の創建は仁徳天皇12年(324)に勧請されたのが始まりと伝えられています。
住吉神社は格式が高く宝亀元年(770)には班幣を預かり、仁寿元年(851)には正六位上に列し、延長5年(927)に編纂された延喜式神名帳に記載されている式内社鳳至比古神社と伝えられ(鳳至比古神社を由来とする神社は重蔵神社など4社あります。)、鳳至郡の大宮として広く信仰されました。
当初は御霊地山に鎮座、神仏習合し別当神宮寺には鳳至院があたり、最盛期には多くの堂宇が建立され現在でも建物の名称を由来する地名が残っています。創建当初は大屋庄御霊地山に鎮座していましたが度重なる兵火や災難の為、現在地に遷座しています。
天正10年(1582)には能登の領主となった前田利家が能登半島巡視の際に本社に参拝し社領を寄進し社殿修復料50俵を奉納(境内には利家が腰掛たと伝わる「前田中納言殿御休跡」があります)、江戸時代に入ると歴代加賀藩(藩庁・金沢城)の藩主前田家から庇護されます。
古くから神仏習合していましたが、明治時代初頭に発令された神仏分離令により仏教色を廃止し正式な神社となり、明治5年(1872)に郷社に列し、明治39年(1906)に神饌幣帛料供進神社に指定されています。
現在の住吉神社社殿は天明5年(1785)の火災で焼失後の文化10年(1813)に再建されたもので、七尾出身の芝田新助矩一が棟梁として手掛、特に本殿の彫刻は江戸時代後期の特徴が残された貴重な神社建築の遺構として輪島市指定文化財に指定されています。拝殿は木造平屋建て、入母屋、桟瓦葺き、平入、桁行5間、正面1間向拝付き、外壁は真壁造り板張り、浜縁付。
寺宝である能登輪島住吉神社文書4516点は天正10年(1582)の前田利家御印状や鳳至町年貢米皆済状、鳳至町の町方の支配・行政に関するもの、地場産業の資料、輪島湊の海運資料、輪島町絵図など多岐にわたり江戸時代の当地域の歴史資料として貴重な事から平成5年(1993)に石川県指定文化財に指定されています。
又、住吉神社の境内では現在でも市が開かれ、本殿脇には市神様が祀られています。祭神:底筒男命、中筒男命、表筒男命、神功皇后。配祀:大己貴命、鳳至比古命。合祀:大国玉命、稻荷大神、惠毘須大神、牛頭天王。
住吉神社:上空画像
【 参考:文献等 】
・ 郷土資料事典-ふるさとの文化遺産-石川県-出版元:株式会社人文社
・ 現地案内板(由緒碑)-住吉神社
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