輪島市(歴史)概要: 輪島市は古くから交通の要衝とされ平安時代には近世でいう宿場町に相当する大市駅、三井駅、待野(町野)駅が設置され、さらに鳳至郡の郡家(郡衙)が置かれるなど周辺地域の行政の中心でもありました。
中世に入ると現在の輪島港である大屋湊(親湊)が日本海貿易の重要な拠点として三津七湊の1つに数えられ、港町として大きく繁栄しました。鎌倉時代に入ると幕府の御家人長谷部信連が地頭職として赴任し当地方にも大きな影響力を持つようになり、後裔の長氏は奥能登最大の国人領主となり能登国守護畠山氏の有力家臣となります。
同じく地頭から有力国人領主となった温井氏も畠山氏に従属するようになり重臣の地位を得て大きな影響力を持つようになりました。
戦国時代に入ると温井氏が現在の輪島市周辺を完全に掌握し大屋湊からの恩恵を背景に畠山七人衆の筆頭として能登国の軍事や行政にも積極的に関わるようになります。
天正5年(1577)、上杉謙信の能登侵攻により主家である畠山氏が滅ぶと上杉家に従属し、謙信が死去し上杉領が後退すると侵攻してきた織田信長に臣従しました。しかし、当初から織田家に従属し上杉家に対抗した長氏と対立し事実上、温井氏や遊佐氏、三宅氏を追い出されてしまいます。
本能寺の変で信長が死去すると温井氏や三宅氏などが失地を回復するために石動山天平寺(現在の伊須流岐比古神社)に立て籠もりますが、新たに領主となった前田利家によって全山焼き討ちされ温井氏は滅亡しました。
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