石川県日本三大

石川県:歴史・観光・見所(ホーム)>石川県日本三大(兼六園・倶利迦羅不動尊・医王寺)

石川県の日本三大・概要

石川県には日本三大○○が幾つか存在しますが、今回は日本三名園の1つに数えられてい兼六園と日本三大不動尊の1つに数えられている倶利迦羅不動尊、日本三大薬師の1つに数えられている医王寺(山中温泉)を紹介します。

日本三名園:兼六園

兼六園(日本三名園)・写真
[ 石川県金沢市 ]
兼六園概要: 兼六園は10万坪を誇る加賀前田家の大名庭園で水戸偕楽園、岡山後楽園に並ぶ日本三名園の1つに数えられています。作庭されたのは延宝4年に加賀藩5代藩主前田綱紀によって計画された別荘が始まりで、当初は蓮池御亭と称していました。その後、安永3年に夕顔亭、寛政11年に高の御亭、内橋亭、舟の御亭などが増設され13代藩主齊泰代に一応の完成となりました。兼六園の名称は12代藩主齊広が松平定信に命じて名付けられたもので中国の北宋の詩人、李格非によって書かれた「洛陽名園記」から引用したそうです。

日本三大不動尊:倶利迦羅不動尊

倶利迦羅不動尊(日本三大不動尊)・写真

[ 石川県河北郡津幡町 ]
倶利迦羅不動尊概要: 不動寺の前身である長楽寺の創建はは養老2年、インドの高僧善無畏三蔵によって開かれたのが始まりと伝えられています。当初は境内に七堂伽藍が建ち並び寺運も隆盛していましたが寿永2年、木曽義仲と平家による倶利伽羅峠の戦いにおいて境内が平維盛の本陣に利用され、その兵火により焼失しました。その後は源頼朝が境内の再興に尽力し再び興隆、戦国時代の上杉謙信の兵火で焼失、、前田利家の再建と続き明治時代初頭に発令された神仏分離令により廃寺となり手向神社の境内社素戔嗚社となりました。昭和に入り再び寺院として再興する気運が高まり昭和24年に金山氏が復興し不動寺として開山としました。現在では成田不動尊(千葉県)、大山不動尊(神奈川県)と共に日本三不動尊に数えられています。

倶利迦羅不動尊・写真

倶利迦羅不動尊(日本三大不動尊)・写真 倶利迦羅不動尊(日本三大不動尊)・写真 倶利迦羅不動尊(日本三大不動尊)・写真 倶利迦羅不動尊(日本三大不動尊)・写真

日本三大薬師:医王寺(山中温泉)

医王寺(山中温泉):写真

[ 石川県加賀市 ]
医王寺(山中温泉)概要: 日本三大薬師には諸説あるようで一畑薬師(島根県)、山田薬師(愛媛県)、永勝寺(福岡県)、柴折薬師(高知県)、米山薬師(新潟県)、蛸薬師(京都府)、日向薬師(神奈川県)などなど、まだまだ沢山あるかも知れません。一方、日本三大温泉薬師と呼ばれるものもあり、こちらは、草津温泉(日本三名泉:群馬県草津町)の光泉寺と有馬温泉(日本三名泉:兵庫県神戸市)の温泉寺、そして、医王寺(石川県加賀市)もその1つで、天平年間、行基菩薩菅生石部神社(石川県加賀市)を行脚で訪れた際、紫雲が棚引くのを見て、山中温泉(石川県加賀市)を発見した際、温泉の守護神として薬師尿来像を祀ったのが始まりとされます。その後も薬師尿来の化身は度々現れ山中温泉の発展に大きく関与したとされ、その由来が「山中温泉縁起絵巻」によって伝えられています。因みに草津温泉の光泉寺と有馬温泉の温泉寺は何れも行基によって創建されたとの伝承が残されています。

医王寺(山中温泉)・写真

医王寺(山中温泉)・写真 医王寺(山中温泉)・写真 医王寺(山中温泉)・写真 医王寺(山中温泉)・写真

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