石川県の伝統的・町並み1

  石川県:歴史・観光・見所(ホーム)>石川県の伝統的・町並み1(東山ひがし・輪島市黒島地区・加賀橋立)
項     目 場  所 備  考
・東山ひがし ・石川県
・金沢市
・東山
・「東山ひがし(東茶屋街)」は前田利家(加賀藩の藩祖)が築城した金沢城の城下町の一部として町割された町です。加賀藩(100万石)では早くから文化の向上に力を入れていた事から庶民にも「謡」などが浸透し城下町には数多くの茶屋が設けられました。しかし、その茶屋が温床となり風紀の乱れが顕著になった事から文政3年(1820)に浅野川の東岸に「ひがし」、犀川西岸の「にし」と呼ばれる茶屋町を改めて町割し、そこを曲輪として囲い、出入りの制限や規則などを定め、その曲輪内だけに茶屋の営業を認める事としました。その為、一般的な町屋建築(石川県)では制限されていた屋根の軒の高さもある程度自由となり、2階部分に天井の高い座敷を設け、外壁の色彩も弁柄を中心に華やかな建物となりました。現在でも「東山ひがし」地区(金沢市東山一丁目・約1.8ha)ではそのような特徴のある茶屋建築が軒を連ね当時の茶屋町の町並みを大変良く残している事から国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されています。
・輪島市
・黒島地区
・石川県
・輪島市
・門前町
輪島市黒島地区に何時頃から集落が発生していたのかは不詳ですが、16世紀前半頃とも云われ、資料などでも散見出来るようになります。戦国時代になると、總持寺や御用船や加賀一向一揆に兵糧米を運ぶ為、廻船業の原型のような家が発生し発展の起源となっています。当時の總持寺(現在の總持寺祖院)は曹洞宗大本山として多くの僧侶が修行する一大聖地として門前町も活況を呈し消費地として廻船が必要だったと思われます。江戸時代に入ると日本海を航路として利用した北前船が重要性を増し、黒島地区は北前船の寄港地ではありませんでしたが船主や船頭、水夫など廻船業の関係者が集まり、特に江戸時代後期から明治時代中期にかけては最盛期で活気に満ちた集落でした。現在でも当時の町割や屋敷などが残され、良好な町並みを見る事が出来ます。輪島市黒島地区は「船主集落」として国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されています。
・加賀橋立 ・石川県
・加賀市
加賀橋立は江戸時代前期までは小さな漁港と僅かな民家だけの小さな集落でしたが、寛永16年(1639)に前田利治(加賀藩2代藩主前田利常(前田家3代目当主)の3男)が大聖寺藩を立藩すると、藩の外港として保護される事になり次第に整備、発展しました。しかし、北前船の寄港地には指定されなかった事から、沿岸で北前船を停泊させ、小型の船を利用して荷物の積み替えが行われました。江戸時代中期以降になると、輪島市黒島地区と同様に船主や船頭、水夫など廻船業の関係者が集まり、最盛期には加賀橋立には30余名の船主が存在し合計100隻以上の北前船を擁していました。現在でも当時の船主の邸宅が残され、独特の町並みを見る事が出来ます。輪島市黒島地区では町屋建築風の建物で町並みを形成していますが、加賀橋立では屋敷建築が多く敷地の形状も富んでいる為に町並みの雰囲気も異なります。加賀橋立は「船主集落」として国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されています。

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