名 称 | 場 所 | 内 容 |
・不動寺 | ・石川県 ・津幡町 | ・伝承によると、平安時代初期に弘法大師空海が七堂伽藍と十二ヶ寺を建立したと伝えられています。 |
・弘法大師之霊水 | ・石川県 ・小松市 ・三谷町 | ・伝説によると見すぼらしい恰好した弘法大師空海が巡錫で当地を訪れた際、住民達に一杯の水を所望しました。しかし、住民達も困窮の極みにありその一杯の水さえも与える事が出来ませんでした。空海が最後の一軒を訪ねると、年老いた老婆が空海の難儀を聞き、遥か遠くまで水を汲みに行ってどうにか水を得る事が出来ました。空海は老婆に感謝すると杖を地面に突きさし、ここを掘れば清水が湧き出るだろうと告げこの地を去りました。その話を聞いた住民達は早速井戸を掘ると滾々と清水が湧き出たと伝えられています。 |
・弘法の水 | ・石川県 ・小松市 ・下大杉町 | ・伝承によると、弘法大師空海が巡錫で当地を訪れた際住民達に一杯の水を所望しました。しかし、住民達は空海の余りにも見すぼらいい恰好から悪人と勘違いし追い返してしまいました。一方、空海を篤くもてなした集落は様々な奇跡が起こった為、当地の住民は心を入れ替え空海に詫びを入れると、心の広い空海は杖を地面に突き刺し旱魃でも水の枯れない清水を与えたと伝えられています。 |
・林町の生水 | ・石川県 ・小松市 | ・伝承によると、弘法大師空海が当地を訪れた際、恵みを受けたと伝えられています。 |
・御生水 | ・石川県 ・小松市 | ・伝承によると、弘法大師空海が当地域に布教を行った際、この清水で喉を潤したと伝えられています。 |
・見附島(軍艦島) | ・石川県 ・珠洲市 | ・伝承によると弘法大師空海が中国から帰国の途上、佐渡島から能登に渡ってきた際、最初に目に付いた島だと伝えられています。 |
・弘法池の水 | ・石川県 ・白山市 ・釜清水町 | ・伝説によると、弘法大師空海が当地を訪れた際、一軒の見すぼらしい民家を訪ね一杯の水を所望しました。空海の話を聞いた老婆はこの集落には水が無かった事から距離のある手取渓まで行って水を振舞いました。空海はこの好意に感動し、持っていた錫杖を庭にあった大岩に突き刺すと、そこから滾々と清水が湧き出たと伝えられています。 |
・弘法の霊泉 | ・石川県 ・七尾市 ・大津町 | ・伝承によると弘法大師空海が当地に訪れた際、日照りが続き飲料水にも事欠き疫病が蔓延し住民達が難儀していました。その惨状を目の当たりにした空海は自ら泉を掘り住民に清水を与えたと伝えられています。 |
・押の泉 | ・石川県 ・宝達志水町 ・紺屋町 | ・伝説によると、弘法大師空海が巡錫で当地を訪れた際、喉に渇きを覚えた為、杖の先を地面を押し付けるとそこから滾々と清水が湧き出たと伝えられています。 |
・弘法の井 | ・石川県 ・能登町 ・不動寺 | ・伝承によると、平安時代初期に当地を訪れた弘法大師空海が家人に一杯の水を所望すると、家人は遠く離れた水場から態々水を運んでくれました。空海は感謝と共に水場が離れている事を不憫に思い、錫杖を地面に突きさすと、そこから滾々と清水が湧き出たと伝えられています。 |
・明泉寺 | ・石川県 ・穴水町 | ・伝承によると弘仁年間(810〜824年)に弘法大師空海が明泉寺で修業したと伝えられています。 |
・徳田神社 | ・石川県 ・志賀町 ・矢田 | ・伝承によると平安時代初期の弘仁3年(812)、弘法大師空海が参拝に訪れ、阿弥陀如来像、観世音菩薩像、不動明王像の三像を奉納したと伝えられています。 |
・久麻加夫都 阿良加志比古神社 | ・石川県 ・七尾市 | ・伝承によると真言宗の開祖である弘法大師空海が紺紙金泥法華経を奉納したと伝えられています。 |
・妙観院 | ・石川県 ・七尾市 ・小島町 | ・伝承によると天長7年(830)、弘法大師空海が巡錫で当地を訪れた際、浜辺に流れ着いた霊木から聖観世音菩薩像を彫刻し安置したのが始まりと伝えられています。 |
・松尾寺 | ・石川県 ・志賀町 ・町居 | ・伝承によると承和元年(834)、弘法大師空海が当地に巡錫で訪れた際、当時の庵主である多那王の子供である弘念と智海が教化を受け開かれたのが始まりとされます。 |
・法住寺 | ・石川県 ・珠洲市 ・宝立町 | ・伝承によると弘仁年間(810〜824年)、弘法大師空海が修行先の中国から日本に向かって投げた三杵の一つが当地に飛んできた事から聖地と悟り法住寺を開いたのが始まりと伝えられています。 |
・白山神社 | ・石川県 ・珠洲市 | ・伝承によると弘仁年間(810〜824年)に法住寺を開いた弘法大師空海が参拝したと伝えられています。 |