小松宿

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小松宿:略データ
・場 所・石川県小松市
・概 要・小松の地は古代加賀国の国府が置かれた地とされます。

弘仁14年に越前国から江沼郡と加賀郡が分かれ、その2郡により加賀国が立国、さらに、江沼郡の北部が能美郡、加賀郡の南部が石川郡となり4郡体制となりました。

加賀国の国府付近に鎮座していたと推定される石部神社の境内からは平安時代後期の祭祀場と思われる遺物が多数発見されている事から加賀国の総社だった可能性があります。

又、石部神社の南西に位置する古府シマ遺跡からは平安時代末期頃の土器が発見されている事から国司館等の国府関連施設があったと推定されています。

花山法皇も当地を訪れたようで、地名は花山法皇が小松の苗木を沢山植樹した事に由来すると云われています。

鎌倉時代以降は朝廷の権威が失墜し国府も廃されたようで、その後は絹織物の産地として知られるようになり文明18年には本折の地名が見られます。

戦国時代になると加賀一向一揆の拠点の一つとなり、天保4年には一揆衆の有力武将だった若林長門守が小松城を築城しています。

天正7年に織田勢が当地を席捲すると丹羽長秀の与力だった村上義明が小松城の城主に抜擢されています。

慶長3年に義明が村上城に移封になると丹羽長重が12万石で入封、しかし、慶長5年に発生した関ヶ原の戦いで西軍に与し、東軍に与した前田利長と対立した事で改易となり、当地は加賀藩領に組み込まれています。

小松城は元和元年に発令された一国一城令により廃城になったものの、寛永16年に前田利常の隠居城として改めて築城され、その際、城下町も大規模に町割りされ、現在の町並みの基礎となっています。

小松は小松城の城下町であると同時に北国街道の宿場町でもあり、街道沿いの本折町や、龍助町、西町、京町、松任町には多くの商家が集められました。

特に本折町は中世からの絹織物の生産地だった事から、隣接する龍助町はその絹織物を取引する絹問屋と茣蓙問屋が軒を連ねていました。

又、宝永3年からは加賀藩の藩都である金沢城下との間に十度飛脚制が施行されています。

前田利常が死去すると家臣の多くが金沢に引き上げた為、一時人口が激減しましたが、その後は順調に発展し万治2年には1200軒、天和3年には1332軒、天明5年には1883軒の家屋がありました。

現在でも明治時代から昭和初期に建てられた伝統的な町屋建築が数多く残され、良好な町並みを見る事が出来ます。

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