寺井宿

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寺井宿:略データ
・場 所・石川県能美市寺井町
・概 要・寺井の地は古くから人々の生活の痕跡が見られ、和田山・末寺山古墳群には弥生時代末期から国府時代にかけての古墳が40数基確認されています。

中でも寺井山6号墳は4世紀半に築造された前方後円墳で墳長約57m、副葬品として鉄刀や鉄剣、鉄鋤等が発見され、当地を支配した首長墓と推定されており、貴重な事から国指定史跡に指定されています。

南北朝時代には南朝方の有力武将である結城宗広の家臣である佐次右衛門が領主だったようで、延元元年に宗広の守護神を勧請し当地の鎮守である奥野八幡神社を開創しています。

戦国時代には称仏寺が加賀一向一揆衆の拠点になり、一揆衆の有力武将だった和田坊超勝寺が永正3年に和田山に和田山城を築城しています。

織田勢が当地を席捲すると、天正8年に柴田勝家の家臣である安井家季が和田山城に配され、一揆衆が籠る虚空蔵城や鳥越城攻めの拠点となっています。

江戸時代に入り北国街道が開削されると宿場町として整備されています。又、宿場の西端と北端が川に接していた事から、年貢米等の物資は当地に集積され、ここから安宅湊に運ばれていった事から大いに賑わいました。

明暦2年には加賀藩の年貢米を収納する御蔵が設置され、その隣地には御蔵番の居屋敷が設けられています。

当地の実力者だった初代伊右衛門が寛永年間から十村役に任ぜられ、寺井村、佐野村、湯谷村、高堂村、福岡村、赤井村、朝日村、栗生村、秋常村、上開発村、下八里村等35ヶ村を管理し、領域は5千石に達したとされます。

又、街道沿いの貧しい農家出身だった九谷庄三は幼少の頃から奉公に出され、その後、様々な窯で技術を学び26歳の土岐に寺井に戻り新たな窯を設けて九谷焼の中興の祖となっています。

牧野家8代目当主牧野孫七も九谷庄三を支援、彩色金襴手の完成に貢献し、牧野家の求めに応じて制作された色絵牡丹唐草文図茶壺は貴重な事から能美市指定文化財に指定されています。

孫七の末弟である牧野伝三郎は江戸時代末期の寺井地方の文化人として知られ、詩歌だけでなく、和歌、俳句、華道、茶道、以後、謡曲にも精通し、彼が携わった扁額は貴重な事から能美市指定文化財に指定されています。

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