冨木八幡神社(志賀町)概要: 冨木八幡神社は石川県羽咋郡志賀町八幡に鎮座している神社です。冨木八幡神社の創建は奈良時代の天平勝宝2年(750)に勧請されたのが始まりと伝えられています。鎌倉時代の建保5年(1217)、佐波良吉基が鶴岡八幡宮(神奈川県鎌倉市)の分霊を勧請し冨木八幡宮と社号を改称しています。古くから近隣8ヵ郷の総社として広く信仰され、中世以降は神仏習合(別当、神宮寺八幡寺)したことで多くの社僧を抱える大社となりました。戦国時代の天正4年(1576)〜天正5年(1577)、上杉謙信の能登侵攻により七尾城が落城、その兵火により大きな被害を受け一時衰退しますが寛文11年(1671)、富来村の十村役である上島弥六が社殿を再建し、社領を寄進しています。
冨木八幡神社は古くから神仏習合していましたが、明治時代初頭に発令された神仏分離令により神宮寺は廃寺、仏式も廃され正式な神社となり、明治13年(1880)に郷社、明治43年(1910)に神饌幣帛料供進神社に指定されています。
冨木八幡神社は社宝は多く、那須与一扇の的図扁額、三十六歌仙の図扁額、俳諧百人一首扁額が志賀町指定文化財に指定されています。例祭の八朔祭(くじり祭)は神輿13体、山車1台、奉灯(きりこ)百数本をくり出す壮大なもので近郷15ヵ村の氏子達が参拝に訪れます。
八朔祭(くじり祭)は古式を伝える行事として貴重な事から平成27年(2015)に「能登のキリコ祭り」の構成要素の一つとして日本遺産に認定されています。冨木八幡神社拝殿は木造平屋建て、入母屋、桟瓦葺き、妻入り、間口4間、正面1間軒唐破風向拝付き、外壁は真壁造り板張り、浜塚、高欄付き。祭神:誉田別命、仲哀天皇、息長帯姫命。
冨木八幡神社:上空画像
【 参考:文献等 】
・ 郷土資料事典-ふるさとの文化遺産-石川県-出版元:株式会社人文社
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