高爪神社(志賀町)概要: 高爪神社は石川県羽咋郡志賀町大福寺ナに鎮座している神社です。高爪神社の創建は大宝2年(703)に勧請されたのが始まりと伝えられていますが、奥社が鎮座する高爪山は「能登富士」と呼ばれる程、能登半島の低山の中では山容が美しく原始の頃から神体山として崇められてきました。
特に内陸部には農耕神として、漁業、海運業からは海からの目印となった為、航海神として信仰され持統天皇(第41代天皇・在位:690〜697年)と文武天皇(第42代天皇・在位:697〜707年)の祈願所にも定められました。
中世に入り神仏習合の形態となると別当の大福寺を中心に隆盛し七堂伽藍、十一坊・五十八院を抱える大寺院となり、境内には内宮(六社宮)と外宮(高爪神社)を祭り、多くの社僧が祭祀を管理しました。勢力が広大すると武装化したようで山頂付近には城郭でいう堀切や土塁などの防衛施設が点在しています。
天正年間(1573〜1593年)の上杉謙信の能登侵攻の兵火により多くの社殿や寺宝、記録などが焼失し一時衰退しましたが、天正13年(1585)、新たに領主となった前田利家により再興、十一面観音像を寄進し、祈願を依頼する書状が残されているなど篤く信仰していた事が窺えます。
江戸時代に入っても歴代加賀藩主前田家から庇護され社領の寄進や社殿の造営が行われ、現在でも初代藩主前田利長(瑞竜院)、2代藩主前田利常(微妙院)、4代藩主前田綱紀(松雲院)の位牌が安置されています。
明治時代初頭に発令された神仏分離令により蓮華光院大福寺が廃寺になるなど仏式が廃されると正式な神社となり社号を「高爪神社」に改め明治35年(1902)に県社に列しています。
高爪神社の社宝は神仏習合の色合いが濃く、鎌倉時代初期に製作された木版彩画六所宮懸仏(六面)が国指定重要文化財に指定されているのをはじめ、承元2年(1208)に製作された木造薬師如来坐像が石川県指定文化財に、前田利家書状が志賀町指定文化財に、高爪神社のタブノキ(樹高10m、幹周8.1m)が志賀町指定天然記念物にそれぞれ指定されています。
高爪神社本殿は天明6年(1786)に造営されたもので、三間社流造、桟瓦葺、正面三間向拝付き、高欄付き、外壁は真壁造り板張り、江戸時代中期の神社本殿建築の遺構として貴重な事から志賀町指定文化財に指定されています。
又、前田利家が十一面観音像を寄進して以降は観音信仰が盛んになり現在も能登国三十三番観音霊所第二十六番札所として参拝者が訪れています。能登十二薬師霊場第3番札所。祭神:日本武尊。
高爪神社:上空画像
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