法住寺(珠洲市)概要: 法住寺の創建は平安時代初期の弘仁年間(810〜824年)に弘法大師空海が開山したのが始まりと伝えられています。伝承によると空海が唐に渡ると醴泉寺の印度僧般若三蔵や青龍寺の恵果阿闍梨などに師事し正式な伝承者である灌頂を受けました。その際、密教伝来の三杵が授けられましたが、この三杵は中々授けられない秘法具だった事から嫉妬した唐の僧侶達が奪い返そうと画策しました。追い詰められた空海は海岸まで逃げ出し三杵を法力によって日本に向けて投げつけると、霊地である佐渡島の小比叡山(新潟県佐渡市)の柳と能登半島の吼木山(石川県珠洲市)の桜、紀伊半島の高野山(和歌山県伊都郡高野町)の松の3箇所に飛んでいきました。空海は散らばった三杵を探し出し、それぞれの霊地の寺院を開山したと伝えられています。
その後は奥能登の荘園であった若山荘の領家日野家の祈願所として庇護され寺運が隆盛し境内には七堂伽藍が建ち並び周辺には60余坊の堂宇が軒を連ね能登半島随一の霊場として名を馳せました。
平安時代後期に荒廃しましたが鎌倉時代に入ると虚円が中興し、天正年間(1573〜1593年)に前田利家が能登領主となると庇護され江戸時代を通して加賀藩主前田家が庇護しています。
法住寺は古くから神仏習合し隣接する白山神社別当寺院として長い期間司祭を司ってきましたが明治時代初頭に発令された神仏分離令により白山神社とは分離しています。
寺宝が多く享徳2年(1453)に京仏師の院勝・院超によって制作された木造金剛力士像(胎内文書付き)をはじめ木造不動明王坐像、法住寺文書(18点)が珠洲市指定文化財に指定されています。山号:吼木山。宗派:高野山真言宗。本尊:不動明王。
法住寺:上空画像
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