見附島(軍艦島:能登半島)概要: 見附島は能登半島を代表する景勝地で、 周辺は国民宿舎や民宿、売店、遊歩道などが整備され海水浴場や観光地の1つにもなっています。見附島の名称の由来は諸説ありますが平安時代初期に弘法大師空海が唐(中国)に渡り厳しい修行を完遂すると正当な伝承者として灌頂を受け密教伝来の三杵が授けられました。空海は三杵を携え日本に帰国しようとしたところ、嫉妬した唐の僧侶達が奪い返そうと大勢で海岸まで追い詰めると、空海は念仏を唱え三杵を日本に向かって投げると大空高く舞い上がり見えなくなりました。
三杵は日本の霊地である佐渡島の小比叡山(新潟県佐渡市)と能登半島の吼木山(石川県珠洲市)、紀伊半島の高野山(和歌山県伊都郡高野町)に飛んでいきました。
三杵を探す旅を続けた空海がこの島に近づくと法華経を唱えている声が聞こえた為、島を頼りに上陸し吼木山に飛んでいった三杵の1つ五鈷杵を見つけることが出来ので、この故事からこの島が見附島と呼ばれるようになったそうです(吼木山には法住寺を創建)。
軍艦島のようにも見える見附島
又、別の説では空海が佐渡島から当地を訪れた際、最初に目に付いた(見付けた)島だったからとも云われています。別の説では加志波良比古大神(加志波良比古神社の祭神)が当地に降臨した際、最初に目に付いた(見付けた)島だったからとも云われています。
その後、見附島の頂部には縁結びの神と海難の神である見附神社(見附弁財天社)が創建され、例祭の日には舟を繰り出し見附島に上陸し頂部まで上り祝詞を奉納したそうです。平成5年(1993)の能登沖地震により社殿が倒壊し、海上の鳥居だけになりましたが、近年、見附海岸に社殿が造営され遷座しています。
見附島は周囲約450m、高さ約30m、幅約50m、島上には黒松、牡松、楢、栗、楓、椿などの植生があり海鳥達の棲家(無人島)となり先端部分が突き出たその姿から「軍艦島」との別称があります。見附島海岸一帯は昭和43年(1968)に能登半島国定公園に指定されています。
周辺は観光地として整備され、散策路や御土産屋等があり、引き潮の時は人工的に置かれた踏み石を使って島の近くまで行く事が出来ます。ただし、平ではない為、滑りにくい靴を履いていた方が無難と思われます。
見附島:上空画像
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