願慶寺(白山市)概要: 願慶寺の創建は養老年間(717〜724年)に泰澄大師が白山を開山した際に、当地(吉野)の民家に宿泊すると近くにある大沼に一匹の龍が巣食い村人に大変悪さをするとの話を聞きました。
泰澄大師は村人の願いをかなえるべく三日間祈祷を行い龍を白蛇に変化させ祠に閉じ込め、この祠が願慶寺の前身となったと云われています。その後の詳細は不詳ですが永禄元年(1558)に慶誓が再興開山し、一向一揆の拠点の1つになったと思われます。
教如上人縁の寺院で、石山合戦から難を逃れた教如上人は一端、一向一揆の加賀最大の拠点だった金沢御坊(現在の金沢城)に入ったと思われますが、その金沢御坊も織田勢の侵攻により陥落した為、願慶寺に入り数年間隠遁生活したと伝えられています。
しかし、その期間は短く和睦と見せかけ当地域の一揆の中心人物だった鳥越城の鈴木出羽守等を松任城を招いて謀殺した為、指導者を失った一揆衆は織田家家臣である柴田勝家により攻め滅ぼされています。
その際、最後まで抵抗したのが願慶寺を中心とする周辺七ケ村(吉野・佐良・瀬波・市原・木滑・中宮・尾添)で、天正10年(1582)には七ケ村全てが徹底的に破壊され村人3百人以上が磔、後世には「七箇村なで斬り」と呼ばれました。
願慶寺も大きな被害を受けましたが、江戸時代に入ると本格的な再興が図られ、教如上人の縁の地で、最後まで戦いを行った事で信仰を集め、山内庄内惣道場、山内庄内33ヵ村、直海谷9ヵ村の御講寺に定められ寺運が隆盛します。
寺宝に絹本著色教如上人寿像(慶長9年)、絹本著色親鸞聖人画像(文禄4年)、木造阿弥陀如来立像(鎌倉時代・本尊)がありそれぞれ白山市指定文化財に指定されています。本尊:阿弥陀如来。宗派:真宗大谷派。
願慶寺:上空画像
【 参考:サイト 】
・ 公式ホームページ
【 参考:文献等 】
・ 郷土資料事典-ふるさとの文化遺産-石川県-出版元:株式会社人文社
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