小松市: 多太神社

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概要・歴史・観光・見所
多太神社(小松市)概要: 多太神社は石川県小松市上本折町に鎮座している神社です。多太神社に奉納された実盛の兜をもした碑多太神社の創建は武烈天皇5年(504)、男大迹王(後の継体天皇)が勧請したのが始まりと伝えられています。延長5年(927)に編纂された延喜式神名帳に式内社として記載され古くから広く信仰されていました。平安時代後期の寛弘5年(1008)、舟津松ケ中原に鎮座していた八幡宮を合祀し多太八幡宮と呼ばれるようになり寿永2年(1183)、木曾義仲(源義仲)が平家追討の戦勝祈願の為参拝した所、倶利伽羅峠の戦い、篠原の戦いと勝利し平家軍に大きな被害を与えました。義仲は多太神社に神意を感じ、最後まで抵抗を試みた斉藤実盛の兜、鎧の大袖等を奉納しています。

室町時代の応永21年(1414)、時衆第14世大空上人が霊夢で実盛と出会い念仏を唱えた事で、多太神社を訪れ藤実盛の兜の供養を行い、その縁が神仏分離令が発令された現在でも続けられています。歴代領主からも崇敬され慶長5年(1600)には小松城主丹羽長重が社領(舟津村:5丁8反243歩)を寄進、寛永17年(1640)には加賀藩2代藩主前田利常(前田家3代目当主)(後年は小松城を隠居城としている。)が社領を安堵、慶安2年(1649)には能美郡の総社とし保護しています。

又、元禄2年(1689)には松尾芭蕉が「奥の細道」行脚の際多太神社に参拝に訪れ芭蕉は「 むざんやな 甲の下の きりぎりす 」、曽良は「 幾秋か 甲にきへぬ 鬢の霜 」、北枝は「 くさずりの うら珍しや 秋の風 」の句を残しています。明治時代初頭に発令された神仏分離令により仏教色が一掃され明治5年(1872)に郷社、明治15年(1882)に県社に列し、明治39年(1906)に神撰幣帛料供進神社に指定されています。

多太神社の社宝である「実盛の兜(兜・袖・臑当)」は大変貴重な事から昭和25年(1950)に国指定重要文化財に指定されています。多太神社回向札は歴代遊行上人が「実盛の兜」を供養する為、多太神社を訪れた際に奉納したもので、年未詳、寛永6年(1629)・承応4年(1655)・寛文12年(1672)・元禄2年(1689)・元禄12年(1699)・正徳4年(1714)・享保14年(1729)・延享2年(1745)・安永2年(1773)・寛政6年(1794)・文化12年(1815)・明治10年(1877)・明治28年(1895)・明治42年(1909)・大正8年(1919)・昭和8年(1933)・昭和31年(1956)・平成17年(2005)の19枚が残され、貴重な事から平成25年(2013)に小松市指定文化財(歴史資料)に指定されています。

多太神社拝殿は木造平屋建て、入母屋、桟瓦葺き、正面千鳥破風、平入、桁行6間、正面1間軒唐破風向拝付き、外壁は真壁造白漆喰仕上げ、「多太神社」の社号額が掲げられています。本殿は流造。祭神:衝桙等乎而留比古命、仁徳天皇、応仁天皇、神功皇后、比淘蜷_、軻遇突智神、蛭児命、大山咋命、素盞嗚命、継体天皇、水上大神。

多太神社:写真

多太神社境内正面に設けられた石鳥居、石造社号標、石燈篭
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多太神社参道石畳みと石燈篭 多太神社境内から見た拝殿正面 多太神社に奉納された酒樽 多太神社の境内に建立されている芭蕉句碑


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