那谷寺

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概要・歴史・観光・見どころ

那谷寺(小松市)概要: 自生山那谷寺は石川県小松市那谷町に境内を構えている高野山真言宗別格本山の寺院です。那谷寺の創建は養老元年(717)、泰澄大師(奈良時代の修験僧)が白山(標高:2702m)を開いた際、自ら霊夢に現れた千手観音像を彫り込み岩窟内に一宇を設け安置したのが始まりと伝えられています。

創建当時は岩窟に千手観音を祭っていた事から「自主山厳屋寺」と称していましたが寛和2年(986)、花山法皇(65代天皇)が行幸で当寺を訪れ千手観音像を拝顔した際、全ての観音霊場の霊気を感じた事から総納霊場と定め、西国三十三観音霊場の1番札所の那智山青岸渡寺(和歌山県東牟婁郡那智勝浦町)の「那」と33番札所の谷汲山華厳寺(岐阜県揖斐郡揖斐川町)の「谷」を取って那谷寺と寺号を改めました。

那谷寺は天皇の勅願寺として寺運が隆盛し境内には数多くの堂宇が建立され、広大な寺領を有する大寺院となり、最盛期には白山三ヶ寺(那谷寺・温谷寺・栄谷寺)の1つに数えられ支院、僧坊合わせて250ヶ寺を擁していたと云われています。

松尾芭蕉も訪れた那谷寺の境内
松尾芭蕉も訪れた那谷寺の境内

南北朝時代、北朝側の富樫氏が那谷寺を占拠、さらに背後の山に那谷城を築き立て籠もったことで、南朝側の新田義貞勢と白山の僧兵が協力し那谷城を攻め立てその兵火により多くの堂宇が焼失しています。さらに、文明4年(1482)と文明6年(1484)に一向宗との対立から兵火にかかり全山焼き討ちにあい、その後富樫氏が一向一揆により滅ぼされると一揆衆に占拠されています。

天正8年(1580)に織田信長による加賀侵攻により家臣である柴田勝家が一揆衆を一掃しましたがさらなる荒廃が続きました。その後再建されることなく衰退の一途を辿っていましたが、慶長2年(1597)に本殿や拝殿、唐門、護摩堂、鐘堂などが再建されています。

寛永19年(1642)には加賀藩(藩庁:金沢城)2代藩主前田利常が後水尾院の命により再興し、藩のお抱え大工山上善右衛門に命じて大悲閣本殿、大悲閣拝殿、大悲閣唐門、三重塔、護摩堂、鐘楼、書院などを再建、修復させ、歴代前田家の祈願所として庇護しその後は寺運が隆盛しています。

又、前田利常の隠居城となった小松城の城下町と那谷寺の境内を結ぶ街道が整備され街道沿いには杉並木が植樹された事から「杉の木街道」と呼ばれました。

元禄2年(1689)8月5日には松尾芭蕉が奥の細道の行脚の折、金沢の門人北枝と共に那谷寺を訪れ境内の奇岩、怪石、霊石を見て「石山の 石より白し 秋の風」の句を残しています。

明治時代初頭に発令された神仏分離令とその後の廃仏毀釈運動により再び荒廃しましたが昭和に入り堂宇の保存を中心に再興が計られています。明治4年(1871)に天満神社が境内に勧請されますが明治12年(1879)に当地から江沼神社に合祀され境内を遷しています。

加賀藩前田家が再建した那谷寺の大悲閣
加賀藩前田家が再建した那谷寺の堂宇

【 那谷寺の伽藍と堂宇 】-那谷寺大悲閣(本堂)拝殿は寛永19年(1642)に前田利常が寄進したもので、入母屋、こけら皮葺、正面千鳥破風、正面軒唐破風、平入、懸造、間口3間、奥行2間、外壁は真壁造り板張り、三方浜縁、高欄付き。

大悲閣本殿は寛永19年(1642)に造営されたもので、桁行3間、梁間2間、巌窟内部の為に屋根が無く、内部には厨子が設置され本尊となる千手観音菩薩像が安置されています。

唐門は拝殿と本殿に中間に設置されているもので、向唐門、こけら葺き、一間一戸。大悲閣(本堂=拝殿・本殿・唐門)は大変貴重な事から国指定重要文化財に指定されています。

那谷寺三重塔は寛永19年(1642)に造営されたもので宝形屋根、桧皮葺、高さ11.6m、間口3間、奥行3間、内部には大日如来像安置、大変貴重な事から昭和16年(1641)に国指定重要文化財に指定されています。

那谷寺護摩堂は慶安2年(1649)に造営されたもので、木造平屋建て、入母屋、こけら葺き、平入、桁行3間、梁間3間、正面1間向拝付き、外壁は真壁造板張り、四周浜縁、江戸時代初期の御堂建築の遺構としての遺構として大変貴重な事から昭和25年(1950)に国指定重要文化財に指定されています。

山門は比較的新しい建物で、入母屋、本瓦葺き、一間一戸、四脚楼門北陸三十三ヵ所観音霊場第12番札所。北陸白寿三十三観音霊場第11番札所。山号:自生山。宗派:高野山真言宗別格本山。本尊:千手観世音菩薩。

歴史が感じられる那谷寺の三重塔
歴史が感じられる那谷寺の三重塔

那谷寺の文化財
・ 本殿(附:厨子)−寛永19年−桁行3間、梁間2間−国指定重要文化財
・ 拝殿−寛永19年−入母屋、こけら皮葺、懸造、3×2−国指定重要文化財
・ 唐門−寛永19年−向唐門、こけら葺−国指定重要文化財
・ 三重塔−寛永19年−三間三重塔婆,檜皮葺,高11.6m−国指定重要文化財
・ 護摩堂−慶安2年−入母屋、こけら葺、3×3−国指定重要文化財
・ 鐘堂−慶安2年−入母屋、檜皮葺、袴腰付、3×2−国指定重要文化財
・ 書院及び庫裏−寛永2年−国指定重要文化財
・ 庫裏庭園(琉美園)−国指定名勝
・ おくのほそ道の風景地−那谷寺境内(奇石)−国指定名勝
・ 萬暦五彩草花龍文瓶−石川県指定文化財
・ 大悲閣鰐口−慶安2年−青銅製、径40.5p、約20s−小松市指定文化財
・ 萬暦五彩草花龍文瓶−明時代(AD1580年頃)−小松市指定文化財
・ 茶室(如是庵)−小松市指定文化財
・ 馬符−小松市指定有形民俗文化財

那谷寺:上空画像

懸造を簡単に説明した動画

唐門を簡単に説明した動画

【 参考:サイト 】
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
公式ホームページ
【 参考:文献等 】
・ 郷土資料事典-ふるさとの文化遺産-石川県-出版元:株式会社人文社
・ 現地案内板-文部省
・ 現地案内板-自生山那谷寺


那谷寺:ストリートビュー

那谷寺:大悲閣・三重塔・写真

那谷寺の境内正面に設けられた山門(楼門)
[ 付近地図: 石川県小松市 ]・[ 小松市:歴史・観光・見所 ]
那谷寺山門から見た歴史が感じられる境内 那谷寺参道から見た金堂華王殿 那谷寺金堂華王殿アップに撮影した画像 那谷寺普門閣正面アップ 那谷寺手水鉢越に見る格式が感じられる書院 那谷寺境内植栽 那谷寺宝篋印塔と苔生した静寂な境内
那谷寺参道の石畳と植栽 那谷寺庭園の池にある中島に建立されている石祠 那谷寺境内にある岩壁と石燈篭 那谷寺庭園の池に写りこむそそり立つ岩壁 那谷寺の印象的な奇岩遊仙境 那谷寺奇岩遊仙境、目生稲荷大明神鳥居、石燈篭 那谷寺の高台から見下ろした庭園池
那谷寺の高台から見下ろした庭園池 那谷寺参道にある石橋と中門 那谷寺石段沿いにある石燈篭とその奥にある大悲閣拝殿 那谷寺大悲閣拝殿全景 那谷寺大悲閣拝殿アップ 那谷寺大悲閣拝殿参道(洞窟) 那谷寺境内に建立された三重塔遠景
那谷寺三重塔全景 那谷寺楓月橋越に見た三重塔 那谷寺境内に設けられた楓月橋 那谷寺展望台から見た奇岩遊仙境 那谷寺鎮守堂アップ 那谷寺境内に設けられた芭蕉句碑 那谷寺切通と石段
那谷寺境内に建立されている庚申像(青面金剛像) 那谷寺の鎮守社である若宮白山神社の石鳥居 那谷寺若宮白山神社の石鳥居と石燈篭 那谷寺に鎮座している若宮白山神社拝殿 那谷寺に鎮座している若宮白山神社本殿 那谷寺に置かれている力比べをした力石 那谷寺若宮白山神社に建立されている石造多層塔
那谷寺若宮白山神社にある参拝者の身を清める手水舎 那谷寺石碑越に見える護摩堂 那谷寺石段から見上げる護摩堂 那谷寺植栽越に見える護摩堂 那谷寺護摩堂左側面 那谷寺護摩堂向拝 那谷寺参道越に見る鐘楼
那谷寺鐘楼全景 那谷寺鐘楼アップ 那谷寺石段越に見る鐘楼 那谷寺参道と苔生した石段 那谷寺参道と苔生した石段 那谷寺苔生した境内と大木 那谷寺山門(楼門)


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