小松市(歴史)概要: 小松市には大谷山貝塚や八日市地方遺跡など古くから人々が住み着いた痕跡が随所に見られ当時から生活しやすい環境にあったと思われます。弘仁14年(823)、越前国から江沼郡と加賀郡を割いて加賀国が立国すると現在の小松市古府町に国府が置かれ、承和8年(841)には勝興寺を国分寺として定め石部神社には加賀国の主要神社の分霊が勧請し総社(諸説有り)としました。
平安時代には花山天皇が巡幸で訪れており、その際梯川の川縁に松を植え、天皇をお迎えしたことから「園の小松原」と呼ばれるようになり小松市の名称の由来となりました。
鎌倉時代に入ると白山信仰の中宮八院の1つに数えられた湧泉寺が台頭し大きな影響力を持ちました。室町時代中期になると領主が形骸化し一向宗宗徒の自治区のような存在となり、天正14年には一向宗徒の1人若林長戸が小松城を築城し一揆衆の拠点の1つになりました。
織田信長の加賀侵攻後は家臣である村上義明(6万6千石)が、豊臣政権下では丹羽長重(12万石)がそれぞれ領主となり、江戸時代に入ると加賀藩に属し前田長種が城番となります。
寛永16年(1634)、2代藩主前田利常(前田家3代目当主)の隠居城として小松城に入ると現在の小松市の礎となり小松天満宮や那谷寺などの造営や殖産産業の育成など行い、改作法と呼ばれる農政改革は農民生活が飛躍的に向上する政策だったと言われています。
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