全昌寺(加賀市)概要: 熊谷山全昌寺は石川県加賀市大聖寺神明町に境内を構えている曹洞宗の寺院です。全昌寺の創建は不詳ですが当初は山代にあり、慶長3年(1598)に山口宗永(玄蕃)が大聖寺城7万石の城主になると篤く帰依し現在地に境内を移しました。慶長5年(1600)の関ヶ原の戦いで山口宗永・修弘父子は西軍に与した為、前田利長に攻められ大聖寺城は落城、父子は自害し全昌寺に葬られ山口家の菩提寺となりました。江戸時代に入ると大聖寺藩主前田家から庇護され、特に4代藩主前田利章は振姫を供養する為「如意輪観音」を奉納しています。
元禄2年(1689)には奥の細道の行脚の折、松尾芭蕉と弟子の曾良が全昌寺で宿泊し、芭蕉は「庭掃いて出でばや寺に散る柳」、曾良は「終宵秋風聞くやうらの山」の句を残し、境内にはこの2つの句碑が建立されています。
五百羅漢は、慶応3年(1867)に加賀藩及び大聖寺藩の奥女中、武士、町人等の寄進により寄進されたもので京都出身の仏師山本茂祐が手懸け517躯が安置されています。全昌寺山門は切妻、桟瓦葺き、一間一戸、薬医門。本堂は木造平屋建て、寄棟、正面千鳥破風、桟瓦葺き、平入、桁行7間、正面1間軒唐破風向拝付き、外壁は真壁造白漆喰仕上げ。山号:熊谷山。宗派:曹洞宗。本尊:釈迦牟尼。
全昌寺の文化財
・ 木造五百羅漢像(517躯)−慶応3年−加賀市指定文化財
・ 六地蔵石幢−鎌倉時代−石造六角形−加賀市指定文化財
・ 絹本著色釈迦三尊十羅刹女図(伝:兆殿司筆)−加賀市指定文化財
・ 紙本淡彩出山釈迦図(狩野友益筆)−加賀市指定文化財
・ 紙本墨画出山釈迦図(小原文英筆)−加賀市指定文化財
・ 太閤秀吉朱印状−加賀市指定文化財
全昌寺:上空画像
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