穴水町(歴史)概要: 穴水町の歴史は古く日本後記によると大同3年(808)に能登郡に所属する穴水駅が廃止された事が記されています。このことから、記載以前には奥能登に続く官道の交通の要衝として江戸時代でいう宿駅が設置されていたことが分かります。
白雉3年(652)には明泉寺が創建されるなど早くから仏教が伝来し、弘仁2年(815)嵯峨天皇の勅願寺として来迎寺が開かれています。鎌倉時代に入ると幕府の御家人であった長谷部信連が、当地方の地頭職に任ぜられ、その一族は長く領主として君臨しました。
室町時代に入ると長谷部氏の後裔である長氏は能登国守護職となった畠山氏に従属するようになり、天正5年(1577)の上杉謙信の能登侵攻の際も畠山氏の居城である七尾城に立て籠もり最後まで抵抗しています。七尾城が落城した後は奥能登まで侵攻され、居城である穴水城も落城しています。
上杉謙信が死去すると越後国が内乱となり長氏一族の生き残りである長連龍は織田信長の助力得て復権し家臣である前田利家の配下となります。江戸時代に入り加賀藩が立藩すると長氏は前田家の家臣ながら3万3千石を領する大身として厚遇され加賀八家の1家に数えられる程になり、尚連の代のお家騒動で領地である鹿島郡の半分を没収されたものの明治維新まで存続しています。
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