羽咋市(歴史)概要: 羽咋市は弥生時代としては北陸地方最大級の吉崎・次場遺跡(国指定史跡)が見られるなど当時から開けていた地域で滝大塚古墳や柴垣観音山古墳、柳田山伏穴古墳など数多くの古墳が点在し早くから豪族達が割拠していたと思われます。特に、当地方の開拓神である磐衝別命(垂仁天皇の皇子)の後裔が羽咋君を名乗り大きな影響力を持ったとされています。
羽咋市全域を含む羽咋郡の成立は不詳ですが養老2年(718)に羽咋郡、能登郡、鳳至郡、珠洲郡が越前国から独立し能登国を立国したとの記述があることから、それ以前から成立していたと思われます。又、能登国、加賀国の中で唯一の名神大社、気多大社が創建されるなどある意味特殊な地域だったのかも知れません。
室町時代に入ると吉見氏、畠山氏と能登国守護職の支配下に入り、戦国時代に一時上杉領になりますが、上杉謙信の死去により大きく後退し、織田信長の能登侵攻後は家臣である前田利家が領主となっています。
江戸時代に入ると加賀藩に属し桜井家などの豪農を輩出しそれぞれ加賀藩の十村役を務め領内の行政の一端を担いました。
又、本城である金沢城の城下町と能登半島の拠点である七尾を結ぶ能登街道の宿場町が各地に整備され多くの旅人や商人など多くの往来者がありました。
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