七尾軍艦所跡概要: 七尾軍艦所は加賀藩が幕末の海防政策の一環として文久2年(1862)に設置したものです。敷地は約65000uと広大なもので内部には造船所や製鉄所、機械室などが設けられ梅鉢海軍(前田家の家紋である梅鉢を掲げた事が名称の由来となっています。)の根拠地や艦船自習地として機能していました。
加賀藩は発機丸など6隻の洋式艦船を購入し、日本海側の諸侯の中で最大の海軍を創設し、戊辰戦争時には新政府軍に大きく貢献しています。慶応3年(1867)にはイギリス軍艦3隻が来航し、イギリス公使ハリー:パークスと外交官アーネスト:サトウと七尾港を開港すべく交渉が行われています。
明治維新後の明治2年(1869)には英国人パーシバル・オーズボーンを招き七尾語学所が開設され多くの著名人を輩出しています。明治4年(1871)に廃藩置県により加賀藩が廃藩となり七尾軍艦所は明治政府の海軍省に移管され廃止となりました。
七尾軍艦所跡:上空画像
【 参考:文献等 】
・ 郷土資料事典-ふるさとの文化遺産-石川県-出版元:株式会社人文社
・ 現地案内板
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