東嶺寺(七尾市)概要: 東嶺寺は石川県七尾市田鶴浜町ニに境内を構えている曹洞宗の寺院です。 東嶺寺の創建は室町時代後期の永正17年(1520)、日三梵朔和尚(實峯)が開山したのが始まりと伝えられています。当初は実相院と称していましたが、天正5年(1577)七尾城主畠山家の重臣長通連の夫人(長連龍の生母)を弔ったことで法名(花渓栄春大姉)から花渓寺と改めています。以来、長氏の菩提寺として保護され天正8年(1580)に七尾城下から現在地に境内を移し堂宇を建立しています。
元和5年(1619)、長氏の中興の祖とされる連龍が死去すると後を継いだ長連頼が父親の菩提を弔う為堂宇を改修し、連龍の33回忌にあたる慶安4年(1651)には連龍の法名(東嶺良如庵主)から東嶺寺と寺号を改称し堂宇も再建されています。その際、2人の指物師が招かれ当地に土着、多くの弟子を輩出した事から田鶴浜建具が発生発展したと云われています。
東嶺寺を菩提寺とする長氏は当地の国人領主で能登国守護職を担った畠山家の重臣として大きな影響力を持った氏族で、天正5年(1577)、七尾城が落城すると続連、綱連など多くの一族は戦死しましたものの連龍や残された一族は織田家に仕え能登、越中奪還に尽力を尽くしたことで鹿島半郡3万1千石が与えられました。
天正10年(1582)に織田信長が本能寺の変で自刃すると前田利家の与力大名として地位を確立、江戸時代以降は加賀八家と呼ばれる大身となり加賀藩内では本多家5万3千石に次ぐ3万3千石を領しました(連龍の曾孫の尚連の代に御家騒動があり与力大名から事実上の家臣へと組み込まれています)。
東嶺寺は長氏の菩提寺として庇護された事で寺運も隆盛し江戸時代初期の慶安4年(1651)に建立された本堂をはじめ、江戸時代中期の延享4年(1747)に建立した山門などの建物が残り長氏の権威を感じる事ができます。
東嶺寺本堂は木造平屋建て、入母屋、桟瓦葺、平入、桁行11間、唐破風玄関屋根、外壁は真壁造白漆喰仕上げ、腰壁は縦板張り、内部の内陣には本尊である釈迦如来像が安置されています。
東嶺寺山門は入母屋、桟瓦葺、三間一戸、桁行3間、張間2間、八脚楼門、外壁は真壁造板張り、上層部には高欄付き、下層部左右には仁王像安置、中央には「龍松山」の山号額が掲げられています。
東嶺寺には寺宝が多く観音立像(1躯)、本堂(1棟)、山門(1棟)、長家墓所(9基)、欄間(1面)、本堂扉(4枚)、高卓(1脚)、香炉(1口)、花瓶(2基1対)、銭九曜文鏡(1面)、梵鐘(1口)、螢山紹瑾禅師自賛画像(1幅)、涅槃図(1幅)が七尾市指定文化財に指定されています。能登七福神霊場:恵比寿。山号:龍松山。宗派:曹洞宗。本尊:釈迦牟尼。
東嶺寺:上空画像
八脚門を簡単に説明した動画
【 参考:文献等 】
・ 郷土資料事典-ふるさとの文化遺産-石川県-出版元:株式会社人文社
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