七尾市: 大地主神社

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概要・歴史・観光・見所
大地主神社(七尾市)概要: 大地主神社は石川県七尾市山王町に鎮座している神社です。の創建は奈良時代の養老2年(718)、日吉大社(滋賀県大津市坂本)の分霊を勧請したのが始まりと伝えられています。以来、能登国の守護神として広く信仰され歴代領主から崇敬され、平安時代の天元年間(978〜983年)には能登国司源順が社殿を造営し、竣工を記念して祭典(青柏祭)が行われました。

元々大地主神社の祭神は生きた大ヒヒだったとされ、例祭(青柏祭)では若い娘を一人必ず神社に生贄に差し出すといった特殊な神事が行われていたそうです。ある年の例祭で、氏子の一人、久平の娘が生贄に選ばれた際、久平は娘が余りにも不憫だった為、大ヒヒの天敵で「しゅけん」を名乗る白狼に大ヒヒの退治を依頼しました。「しゅけん」は大ヒヒは唐(中国)から3匹日本にやってきてその内2匹を殺したたので能登半島に逃げた最後の1匹だろうと、快く引き受けてくれました。例祭では娘の姿に化けた「しゅけん」が唐櫃に入り、大ヒヒが娘と思って食べようとした瞬間に白狼に戻り大きな戦闘が行われました。「しゅけん」は何とか大ヒヒを退治したものの、戦闘で負った傷が深く息絶えてしまいました。能登の住民達は「しゅけん」に感謝の意を込め篤く葬ると登口神社で祭るようになり、一方、大ヒヒの祟りを多れ、例祭の際には三台の大山車を3匹の大ヒヒに見立て怨念を鎮めるようになったと伝えられています。

室町時代の応永13年(1406)、七尾城を築いた畠山密慶は廃れていた例祭"青柏祭"を復興させ、3代義統は鉾山を3台寄進しています。戦国時代末期に領主となった前田利家は天正10年(1582)に社殿を再建すると共に"青柏祭"を能登国の国祭りとして奨励したことで多いに栄え、現在の七尾市の四大祭のひとつに数えられ、昭和58年(1983)に青柏祭の曳山行事として重要無形民俗文化財に指定さています。明治時代初頭に発令された神仏分離令により仏式が廃され郷社に列しました。当初は山王社(山王神社)と称していましたが明治15年(1882)に祇園牛頭天王社と合祀し昭和3年(1928)に現在の大地主神社に改称しています。

大地主神社拝殿は、木造平屋、入母屋、銅板葺き、正面千鳥破風、平入、桁行7間、正面1間軒唐破風向拝付き、外壁は真壁造板張り、唐破風懸魚には鳳凰、向拝木鼻には獅子と像、欄間部にはル龍の精緻な彫刻が施されています。本殿は一間社神明造、銅板葺き。大地主神社の夏の例祭である「七尾祇園祭」は巨大な燈籠「キリコ」が町内を練り歩き神社に奉納されるもので、地方色があり古式を伝える貴重な行事である事から、平成27年(2015)に名称「灯り舞う半島 能登 熱狂のキリコ祭り」の構成要素の一つとして日本遺産に登録されています。御祭神:大山咋命、素盞嗚命、伊許保止命。

大地主神社:写真

大地主神社
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