前田利明

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前田利明(実性院)
【 概 略 】−前田利明は寛永14年(1637)、加賀藩2代藩主前田利常と南嶺院(栗:長連龍の娘)との子供として生まれました。万治2年(1659)、大聖寺藩初代藩主前田利治の養子となり、万治3年(1660)、利治の死去に伴い大聖寺藩2代藩主に就任しています。利明は宗英寺で利治の葬儀を執り行い利治の戒名「実性院殿機雲宗用大居士」から寺号を実性院(石川県加賀市)に改め、万治4年(1661)に現在地に寺地を寄進し堂宇を造営しています。

承応2年(1653)には柴山潟に鷹狩りの際に数多くの水鳥が群がっている様子を奇異に感じ取り片山津温泉の源泉を発見したと伝わっています。大聖寺川の河川工事や市の瀬用水の改修工事と延長工事、山代温泉から二子塚町を経て動橋川に排水する用水の工事を寛文5年(1665)に完遂しています。初代藩主前田利治が始めた九谷焼は利明に引き継がれ、寛文元年(1661)には後藤才次郎を肥前の唐津に被遣したものの天和年間(1681〜1684年)には九谷窯での御用品製造が停止となり、才次郎定次は罪人として幽閉されたようです(諸説有、後藤才次郎を派遣したのは前田利治とも、派遣先は唐津説の他、高麗説、対馬説などがあります)。

前田利明は社寺の保護も行い、明暦4年(1658)には白山比盗_社に太刀(銘:備前長船住長光・国指定重要文化財)を奉納、寛文5年(1665)には阿弥陀名号(伝菅原道真筆・加賀市指定文化財)を表具を修理した上で菅生石部神社(石川県加賀市)に奉納、自ら筆した菅生石部神社の縁起書(1巻・加賀市指定文化財)を菅生石部神社に奉納、寛文7年(1667)には陣屋町に住んでいる町民の便宜を図る為に時鐘堂を建立しています。

元禄5年(1692)死去、享年54歳、戒名:大機院賢翁紹英大居士。継室である慈眼院(勢幾:本多忠義の娘)との子供、前田利直が跡を継ぎ3代藩主を就任いています。大聖寺前田家の菩提寺である実性院に位牌が安置され墓碑が建立されています。

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