前田利治

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前田利治(実性院)
【 概 略 】−前田利治は元和4年(1618)、前田利常(加賀藩2代藩主、前田家3代目当主)と珠姫(江戸幕府2代将軍徳川秀忠の娘)との子供として生まれ、寛永11年(1634)には松平姓を与えられています。寛永16年(1639)、利常が加賀藩の藩主から退いた際、利治には江沼郡7万石が分知され大聖寺藩を立藩しています。江沼郡の中心は大聖寺城でしたが中世の山城で、戦の無い近世では行政的には不便だった為、利治は麓に陣屋を設け、陣屋町に北陸道を引き込むなど町割りしています。領内の開発も積極的に行い大聖寺川左岸の河南地内から取水した御水道用水は、周辺地域の灌漑に利用されただけでなく、陣屋町にも引き込み大聖寺陣屋の外堀、又は藩邸庭園(現在の江沼神社)の池の用水としました(御水道用水は、2代藩主前田利明が開削したという説もあります)。市之瀬用水は加賀藩時代から工事が行われ、前田利治がその事業を引き継ぎ完成に至った用水で、別所町の大聖寺川右岸から取水し江沼平野の灌漑に利用しています。

前田利治は領内の鉱山開発にも力を注ぎ、九谷金山から偶然磁鉱が発見された際、小堀政一(遠州)から茶や茶器について手ほどきを受けその道の知識に精通していた事から陶器生産を思いつきました。明暦元年(1655)、金山錬金役の後藤才次郎を肥前有田に派遣し有田焼の技法を学ばせ、九谷村には大聖寺藩直営の官窯(九谷磁器窯跡)を設け本州では初めてとなる磁器生産に成功し一大産業となりました。ただし、根本的な財政を立て直す事が出来ず家臣24名を加賀藩に返しています。

山代温泉は領内の名湯として知られ、利治は自分専用の湯壺を設け、寛永16年(1639)にその湯壺を管理する湯番頭に荒屋源右衛門を任命し湯壷の鍵を預けています。又、山代温泉の守護神でもある薬王院温泉寺を再興しています。

前田利治は社寺の保護も行い、慶安3年(1650)には江沼郡の総鎮守である菅生石部神社に明青花唐人物図燭台2点を寄進し(明青花唐人物図燭台は貴重な事から昭和34年に加賀市指定文化財に指定されています)、藩境である鹿島の森に境内を構えていた萬宝院を庇護しています。又、通外祇徹和尚や響補和尚を招き霊光山宗英寺を創建、万治3年(1660)に利治が死去すると大聖寺前田家の菩提寺となり、利治の戒名「実性院殿機雲宗用大居士」に因み寺号を「実性院」に改めています。弟で養子である前田利明が跡を継いでいます。

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