松波畠山家:概要

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概要・歴史・観光・見所
松波畠山家(萬福寺)

【 概 要 】−松波畠山家は宗家とされる畠山氏3代当主畠山義統の3男義智が文明6年(1474)に松波の地を約1万4千石が与えられ松波城(能登町)を築城したのが始まりとされます。義智は文武に秀でた人物だったらしく松波城には枯山水式の庭園(国指定名勝)を作庭し、城下には菩提寺である萬福寺(能登町)を移し、全国から刀工を招き産業の一翼を担わせ、湊を整備する事で経済発展にも尽力しました。

その後も宗家に従い能登国の政務、軍事に協力する一方、多くの神社や寺院の創建や保護を行い文化的にも尽力しています。5代当主松波義龍の代に、地元の国人領主だった松波氏の名跡を継ぎ名実共に松波畠山氏として認識されるようになり、妹を能登国の有力国人領主である長英連に嫁がせています。6代義親は宗家である畠山義綱(9代当主)の子供とされ(諸説有り)、独立性を高めていた松波畠山家を再び宗家に従属させる意味合いが強かったとされます。

畠山義親も文武に秀でた人物とされ弘治2年(1556)には萬福寺の本堂の再建など諸堂を整備しています。天正5年(1577)、上杉謙信が七尾城に侵攻すると義親も救援に向かいますが遊佐続光の裏切りなどもあり落城、義親は密かに七尾城を抜け出し松波城に戻ると畠山家再興の兵を挙げます。松波城には3百の兵で籠城するものの、長沢光国率いる1千以上の上杉追討軍により攻略され落城、義親も自刃、遺骸は菩提寺萬福寺に葬られたと伝えられています。享年51歳、戒名「福翁常満居士」。

萬福寺:写真
万福寺 万福寺 万福寺 万福寺
松波城:写真
松波城 松波城 松波城 松波城



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