松波城(能登町)概要: 松波城は文明6年(1474)、能登国守護職畠山義統が築いたのが始まりとされ、3男畠山義智が城主として入城します。以来、松波畠山家の居城として整備され100年余り奥能登の中心的な城として当地域を支配します。
天正5年(1577)、本家畠山家の居城である七尾城が上杉謙信の侵攻により落城すると、上杉勢は能登を制圧し、当時の城主畠山義親も抵抗するものの上杉家家臣長沢光国に攻められ松波城は落城し、義親も自害して果てました。
松波城は標高30mの丘陵に築かれた平山城で本丸、二の丸、三の丸などで構成され、前方の松波川や左右の滝皮川を自然の堀としています。
近年、三の丸から室町時の15〜16世紀に作庭された枯山水の庭園が発見され、中央の文化が能登半島にも及んでいた好例とされます。旧松波城庭園は庭園史上の価値が大変高い事から4067.04uが平成24年(2012)に国指定名勝に指定されています。
松波城全域は能登町指定史跡に指定されています。現存遺構としては松波城の搦手門と伝えられる門が松波畠山家の祈願所万福寺の山門に移築されています。
松波城:上空画像
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