宝泉寺(金沢市)概要: 摩利支天山宝泉寺は石川県金沢市子来町に境内を構えている真言宗の寺院です。宝泉寺の創建は江戸時代初期の慶長11年(1606)、加賀藩初代藩主前田利長(前田家2代)の命により富田重政が堂宇を建立したのが始まりと伝えられています。富田重政の父親は越前朝倉氏の家臣でしたが、自らは前田家の家臣として主要な合戦に従軍し1万3670石の大身として抜擢され「名人越後」の異名があった事から摩利支天を信仰していたのかも知れません。
宝泉寺境内がある卯辰山は金沢城の鬼門にあたる為、藩祖前田利家の守本尊である摩利支天を本尊として祀り、金沢城の鬼門鎮護としました。
特に摩利支天は武家の信仰の対象となり禅居庵(京都府京都市東山区大和町大路四条下:摩利支尊天堂)、徳大寺(東京都台東区上野4丁目)と共に日本三大摩利支天に数えられました。
宝泉寺本堂は木造平屋建て、入母屋、桟瓦葺き、妻入り、桁行3間、正面1間唐破風向拝付き、外壁は真壁造白漆喰仕上、腰壁は下見板張り、背後には神社建築でいう本殿のような御堂が付属し尊像が祭られていると思われます。
宝泉寺境内からは金沢市街や東茶屋街が一望できる景勝地で日本文学研究家であるドナルド・キーン氏は「落陽の光景が金沢一の寺」と賞賛しています。
江戸時代の俳聖松尾芭蕉も奥の細道で金沢に滞在中この地を訪れており「ちる柳 あるじも我も 鐘をきく」の句を残しています。山号:摩利支天山。宗派:高野山真言宗。本尊:摩利支天。
宝泉寺:上空画像
【 参考:サイト 】
・ 公式ホームページ
【 参考:文献等 】
・ 現地案内板
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