金沢市: 天徳院

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概要・歴史・観光・見所
天徳院(金沢市)概要: 金龍山天徳院は石川県金沢市小立野4丁目に境内を構えている曹洞宗の寺院です。天徳院天徳院の創建は元和8年(1622)、加賀藩2代藩主前田利常(前田家3代)が正室である珠姫が死去、元和9年(1623)に珠姫の菩提を弔う為利常が開基となり、巨山泉滴和尚(安房:現在の千葉県、長安寺11世、徳川秀忠が帰依)を招いて開山したのが始まりとされます。珠姫は2代将軍徳川秀忠の次女として生まれ、慶長5年(1600)に前田利長が家康暗殺の嫌疑を掛けられ恭順の意を示す為、慶長6年(1601)政略結婚させられましたが、夫婦仲は良かったとされ3男5女を儲けています。享年24歳、戒名「天徳院殿乾運淳貞大禅定尼」に因み天徳院と号しました。

以降、歴代加賀藩主から庇護され寺運が隆盛し、5代藩主綱紀は元禄6年(1693)に父光高(4代藩主)の50回忌の供養の為、黄檗宗の高泉性敦和尚(中国明の僧、黄檗宗五代管長)と図り名工山上伊左衛門を招へいし10年月の歳月をかけ新たに黄檗式(明朝式)堂宇を建立しました。明和5年(1768)の火災により天徳院の山門、総門、御霊堂、宝蔵などを除いた本堂や庫裏など多くの堂宇が焼失しましたが、翌明和6年(1769)に10代藩主重教の命により僅か70余日で本堂、庫裏等の主要の建物が再建されました。

天徳院の境内には珠姫の他、4代藩主前田光高と9代藩主重靖が葬られていましたが珠姫は寛文11年(1671)、光高と重靖は昭和20年代に前田家墓所である野田山に改葬されています。

現在の天徳院山門は元禄7年(1694)に建立された黄檗式建築で、三間一戸、桁行3間、張間2間、天徳院(金沢市)2重楼門、入母屋、本瓦葺(元鉛瓦葺、現存している建物としては金沢城石川門と富山県高岡市の瑞龍寺仏殿の2例のみ。)、外壁は真壁造板張り(一部彩色)、上層部高欄付き、下層部左右に仁王像安置、2重楼門建築としては石川県最古の遺構として貴重な事から昭和45年(1970)石川県指定文化財に指定されています。天徳院には寺宝も多く、天徳院第3世月爬道印和尚が鋳物師初代宮崎寒雉氏に命じて作らせた葫蘆様釜が平成12年(2000)に石川県指定文化財に、桃山時代に製作され3代藩主利常から寄進された存星卓(蒟醤卓)が平成3年(1991)に金沢市指定文化財にそれぞれ指定されています。宗派:曹洞宗。本尊:釈迦牟尼仏。

【 天徳院菩提者:珠姫 】-天徳院を菩提寺とする珠姫は慶長4年(1599)、後に2代将軍となった徳川秀忠と江(浅井長政と織田信長の妹市との3女)の次女として生まれました。慶長3年(1598)、豊臣秀吉が死去すると徳川家康が天下人を目指し暗躍、五大老で秀吉の遺児豊臣秀頼の傳役だった前田利家は阻止すべく尽力しますが慶長4年(1599)に死去します。後継いだ前田利長は利家から「3年は秀頼を守り大坂城から出るな」と遺言されていたのにも係わらず、家康の誘いに乗り金沢城に帰還、その機に乗じた家康は利長に謀反有として加賀征伐を画策しました。利長はこの危機を脱する為、生母である芳春院(まつ)と利家の5男前田利孝を江戸に人質に出し、代わりに珠姫を前田利常の正室に迎える事で徳川家と親戚関係となりました。

慶長5年(1600)に利常と珠姫の婚約が成立し、慶長6年(1601)に珠姫が金沢城に入り僅か3歳で結婚しています。江戸から金沢の道中では幼子が疲れにくいように一里毎に茶屋を設け、飽きないように様々な工夫が行われたとされ、街道沿いの大名はこぞってもてなしたと伝えられています。所謂、政略結婚でしたが夫婦仲は良かったとされ慶長18年(1613)に亀鶴、元和元年(1615)に光高、元和2年(1616)に小媛、元和3年(1617)に利次、元和4年(1618)に利治、元和5年(1619)に満、元和7年(1621)に富、元和8年(1622)に夏を出産し3男5女に恵まれています。

夏を出産後の肥立ちが悪く体調を崩し死去。享年24歳、戒名「天徳院殿乾運淳貞大禅定尼」、愛妻家だった利常は珠姫の菩提を弔う為、元和9年(1623)姫の戒名に因み天徳院(金沢市)を造営しています。珠姫の墓碑は天徳院にありましたが寛文11年(1671)の野田山(石川県金沢市野田町)に改葬されています。又、天徳院には珠姫の長男で加賀藩3代藩主となった前田光高と8代藩主前田重靖の菩提寺として墓地が設けられていましたが、昭和20年代に入り天徳院の境内が小学校の校庭として造成された為、同じく野田山に改葬しています。

天徳院:写真

天徳院
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